[コメント] カムイ外伝(2009/日)
技術によって表現の制約からの解放されたのならば、静物であれ動物であれ、ほんらい省略すべき運動の過程をすべて押さえたいとする貪欲さが、話の生真面目な調子から浮いているように見える。
抜け忍という造形的受動性のために話の流れの担体とは成り難く背景に沈みがちな松山ケンイチの不幸を彫琢するために、佐藤浩市と伊藤英明が血管を浮かせる。そうなるとこの二人を観察している方が楽しくなり、どうしてここまで抜け忍ひとりに熱量が投入されるのかという作品本来の不可解が隠せなくなる。事態が不幸を利用した自己顕示に見えてくるのだ。
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