コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ブラインドネス(2008/カナダ=ブラジル=日)

全世界全盲化というより全世界ブラジルのスラム化もしくはアフリカの収容所化――地球の裏側でぬくぬくやっとる『バベル』な彼奴らもまとめてホイホイ地獄の体験留学みたいな、
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ある意味総決算な設定だが、娯楽としてはしんどい。というより、もう古い。ただし、世に出たのが70年代だったならレジェンドになりえたぐらいの真摯な出来ではある。

ところで、ダニー・グローヴァー老人が主人公を語る場面で終る。「彼女の番だ」と。

上記にこめられた作者の意図が厳密にどういうものだったのかは知らない。あるいは希望だったのかもしれない。が、自分には、彼女の孤独はあのラストで解消しえないものであろうと思えた。

伊勢谷の開眼が物語るのは、フィンチャーの『ゲーム』が「ヨハネによる福音書」から「私は盲目であったが今は見える」という一節を引用して、暗喩的に語ろうとした「心の開眼」に近いものであったろうと思う。

盲でいる間、彼らは等しく汚物にまみれ、女はレイプにあい、男は女が陵辱されるのをミスミス許すという汚辱に打ちひしがれ、それでも生き延びるうちに、そういった文明社会における尊厳を突き抜けた、プリミティブな域でのまさに手に手を取りあうしかないグループ、共同体、心の結びつきを手に入れた。それは盲になることでしか得られなかったものなのであろう。

では、盲になることができなかった彼女は、それを手に入れることができたのか。陵辱されながら陵辱される自らを見ずにすんだ他の女性をよそに、彼女だけは汚物にも劣る男の汚物にも劣るマラを見せつけられ、くわえさせられ、挙句の果てにその汚物にも劣るデスマスクを網膜に焼きつけることになった。「その顔を忘れない」とはよく言ったものだ。

盲になることにより新世界を手に入れた彼らをよそに、彼女だけは見てしまった視界の記憶から地続きの地獄を歩んでいくのではなかろうか。だとすれば、今度は逆に彼女だけが盲だ。それは発展途上の地獄に身を置きながらも、その価値観に溶け込むことができず、先進社会にもどるが、地獄の記憶を引きづりながら生きていくしかない類の職種の孤独を思わせると言えば、解釈し過ぎか。

さりとても、地獄を知らぬ不肖の身としては、『トゥモロー・ワールド』しかり、昨今のこういう暗喩SFの暗喩に開き直った話にはうんざりガニというのが本音である。怒られるのを承知で言うが、こういうジャーナリスティックな暗喩なんかより、フィクションとしての自らを全うするべく、この奇病の原因が何なのかを考えて答えを用意することのほうが遥かに重要なのだ。たとえ、誰もが失笑するようなしょぼい答えであっても、それを用意するB級映画の方がはるかに尊いのだ。

「はい、皆さん、この設定、暗喩ですから。わかりますよね? 普通に考えたらこんなバカなこと起こるわけないですよね? でも、これ、暗喩ですから。もちろん、原因とかないですから(ワラ」

じゃあ、やれんのかと、やってみろと思うのだ、ガチでSFの設定と向きあう度胸があるのなら。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)はしぼそがらす[*] カルヤ[*] Orpheus ムク IN4MATION[*] くたー[*] Keita[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。