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[コメント] インランド・エンパイア(2006/米=ポーランド=仏)

そう、これが魅惑の「電波」の世界。「狂気」のシステムをめぐる最狂の「ジャズ映画」。何たる恍惚。乙。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「気が狂う」というのはひとえに「つながりの異常」に起因することを教えてくれる。 本来自らに関係のないはずの事象が関係あることのように思え、全ての事象に「自己」の関係性が拡散してしまう。自分の行動が自分の行動として認識できない一方で、他人の行動が自分の行動として認識されてしまう。誰が何を見ているのか、見られているのか、見られるところを見ているのか、果てなき混乱に突き落とされる。この点においては『シャイニング』において「ホテル」と一体化してしまう主人公が想起されるが、本作では本来映画の絶対条件である登場人物の当事者性と関係性が完膚無きまでに破壊されている。

リンチが本作を撮るにあたってはそもそも初めから結末を想定した脚本を作らなかったそうだ。脚本不在の「即興映画」は、女優の不倫とトラブルという敢えての陳腐な「つかみ」を早々に放棄し、空間を超えて暗躍する「絶対狂気」クリンプの殺害、ロストガールの救済劇といった脳内冒険という最低限のルールだけを設定する。その後は「つながり」を「記号(顔・アイテム)の不自然な一致」で無関係な事象同士をつなげることのみに注力する技法の徹底により、サスペンスフルでジャズのような跳躍性を孕んだ不可侵脳内世界(インランド・エンパイア)が現出されるのだ。

その壮大な「自己拡散」の怖ろしさ。そんなものをちっぽけな人間の脳が受け止めきれるはずもない。認識範囲を限定する意味付け・自己定義、ある種の「アイデンティティ」とは人が正気を保つための防衛本能である。意識の防波堤とでも言おうか。そう、これはその防波堤を突破された禁断の地平。魅惑の「電波」の世界なのだ。

リンチの暴走を必然化・正当化するお膳立てのために狂気表現の技法の全てが費やされる。あとはそう、リンチのやりたい放題である。その悪夢にただ恍惚として溺れるのみ。何たる幸福。『ロスト・ハイウェイ』や『マルホランド・ドライブ』でどこか中途半端なもどかしさを感じていた私は、遂に本作でリンチは「逝ってしまわれた(ナウシカのミト調)」と思ったのだった。もちろんいい意味で。まず誰にも真似できない世界表現。この徹底ぶりはまさに唯一無二。

映画館でコレを観てしまった私は恍惚の一方で、あまりの怖ろしさに脳ミソをはじき飛ばされるような衝撃を感じた。脳髄が痺れたのは初めての経験である。まず人にはお勧めしないが・・・ごちそうさまです。

しかしこんなもの撮ってしまってから、リンチはこの後一体どこへ行こう(逝こう)というのだろうか・・・

※ そういえば『シャイニング』を引き合いに出したときに思い出したのは、ペンデレツキの同じ楽曲を使用していたという事実である。全く禍々しい映画である。

(評価:★5)

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