[コメント] 姉妹(1955/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ただ、こんな世界が、ついこのあいだまで存在していたことに目の覚めるような新鮮さを感じてしまう。
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姉娘はクリスチャンで、いつも他人の役に立ちたいと思っている。お小遣いを倹約して、休みの帰宅時には弟たちにおみやげを買って帰るのをわすれない。「みんながそれでいいなら」という、現代人には信じられないような理由で、親のもってきた縁談にしたがい嫁にゆく。
克己心のカタマリである彼女は自堕落な人間が苦手だ。酔っぱらってご機嫌な伯父を見るのが嫌でかくれてしまう。妻を殴る百姓を目撃すると、一刻も早くその場を立ち去ろうとする。妹が百姓の妻の浮気について、気持ちはわかるというようなことを言うと、「そんな恐ろしいことを言うひととは一生、口をききたくない」などと言って、しばらくほんとうに口をきかなくなる。
妹の方はというと、こちらは克己心などはまるでなく、ゆえに他人への要求度も低い。寂しい金持ちの家の子にはキスをさせてやる。姉にお説教されても買い食いはやめない。学校では人気者だ。彼女にはすこし現代人のおもかげが見えかくれする。
現代人とちがうのは彼女が善意のお節介をやくことで、それはおかしい、不合理だと思ったら突っ走る。夫に殴られている百姓の妻とはいま会ったばかりなのに、家に上がり込み、話し込む。姉の縁談に不満で、姉が好きだったとおぼしき青年の家まで乗り込んで談合する。
その時その青年が言う。「俺はこの山のなかで一生を終える男だから」と。恨みっぽいところのまったくない淡々とした口調で。
もちろんこれは独立プロの作品で、当時の言葉でいうところの「良心的」な映画なので、そういう方面から労働者その他を美化しているきらいはある。けれども、そういう「良心」が成り立ったということ自体に驚いてしまう。私たちの生きる今という時代はどうなのだろうか。その空気はもっと自己愛的で冷笑的ではないだろうか。
この時代の方が良かったなどとはいわない。いや、むしろ悲惨なことも多かった。しかし、戦後の日本が一番明るかったのは、やはりこの時代だっただろうと思う。
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