[コメント] 水の中のナイフ(1962/ポーランド)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ヨット上の限られた空間内で、三人の人物の配置、構図の遠近感によって、微妙に変化していく関係性が描かれているのが素晴らしい。単に画的に見た構図の美しさのみならず、それが同時にドラマそのものでもあるという映画性。
とにかく歩き続ける事に意味を見出そうとする青年と、風があれば進み、風が止めば休む、というヨットを「大人の遊び」と呼ぶ男。この男は、冒頭の車の運転シーンでも、妻に何やら指示をしており、運転を交替させていたようだが、ヨットの上でも船長として一々命令を下す。ナイフで藪を切り開いて歩くのだと言う青年も、男に命じられ、綱にかけたヨットを引張りながら藪の中を歩かされる。
だが一方、青年は、冒頭でいきなり道路の真ん中に立ちふさがって強引に車を止め、終盤では、溺れた振りをして海中に隠れ続けた後でヨットに戻り、男の不在をいい事に、その妻と寝る。乗り物の外の、開け放たれた空間から到来して事態を支配する青年は、「自由」、寄る辺の無さを自らの力として利用していると言える。
ラスト・ショットは、警察に行くかどうかを決めかねて立ち往生した車と、その周囲の空間とを、突き放したように見つめた構図をとっている。妻が言うように、あの青年は男の昔の姿だったのだろう。自らが乗り越えてきた若さ、未熟さや無所有そのものに復讐される男。彼が、青年が生きていて妻を寝取ったという事実を認めたくないのは、それを認めれば、それまで歩んできた半生そのものを否定する事になりかねないからではないか。
ゲームの罰としてヨランタ・ウメツカが歌う唄が美しい。その歌詞は、夫との冷めた関係を連想させる内容であり、当の夫がラジオに聞き入って我関せずの態度でいるのも相俟って、他愛ないようなこの場面に、三角関係を匂わすサスペンスをもたらす。
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