[コメント] この子を残して(1983/日)
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ボンボン時計による悲劇へのカウントダウンという手法、キノシタは『香華』(関東大震災もの)ですでに使っているが、比べれば本作の出来は10分の1といった処。ラストの原爆映画としての出来も独立プロの『ひろしま』(53)の100分の1程度。予算もなければ技術もないのだろう。そんななか、田舎町から被害を語るなどの回避策を弄し、何とか格好をつけている印象で、かつての栄華を知る者に痛々しさを覚えさせる出来。
しかし話自体はいいものだ。永井博士ものには『長崎の鐘』がすでにあるが、本作のほうがずっといい。GHQの検閲で出版のあてもないのに病床で本書いていたのだ。偉い人だ。淡島千景が全編を支えており、彼女と孫の焼け跡での骨拾いの件や、大竹しのぶが被災した顔を見せる件(このメイクも安くていかんが)、成長した息子山口崇に引き継がれる思い(この子を残した、ということか)などには求心力がある。原爆犠牲者は神の小羊か、なる加藤剛と淡島の論争は、キリスト教徒はそういう具合に考えるものなのかと蒙を啓かれる。加藤は病気に見えないし、被爆者の治療シーンが少ないのはリアリティを欠くし(これも予算不足か)、生意気だった息子が真面目になるという物語構成は生意気な頃が辛気臭すぎたりするが、まあ許容範囲。
しかしなあ、収束の歌は参った。峠三吉らの詩にメロディがつけられたとのことだがダサ過ぎる。ひと昔前の革新系らしい情緒に訴える手法の典型として記録的価値は十分だが、これはそのなかでも度外れな負の情緒過多であり、唄っている人が窒息しないか心配になる。いまのラップ中心のデモは進化したものだと思わざるを得ないし、永井博士を扱ったのだからもっと理性に訴える収束にしてほしかった。
三カットだけ登場の凛々しい看護婦麻丘28歳(芸能界復帰直後)、長尺のなか演技ができているのはキノシタの演出力なのだろうが、ロングばかりでアップを選ばないキャメラは万死に値する。彼女はカソリック信者の由。
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