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[コメント] 赤目四十八瀧心中未遂(2003/日)

DirectorがproduceするのとProducerがdirectするのは訳が違う
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







つまりこういうことだ。野球に例えるなら、監督あるいはキャッチャーが「内角にズバッと速球を投げろ」と指示したとする。もちろん投げるのはピッチャーだ。じゃあ、監督あるいはキャッチャー自身が内角にズバッと速球を投げられるかというと決してそんなことはない。ここで言う監督あるいはキャッチャーが「プロデューサー」、ピッチャーが「映画監督」に当たる。

ファザーファッカー』(未見)に続く監督2作目。とは言え、荒戸源次郎と言えば、鈴木清順作品あるいは阪本順治作品のプロデューサーである。私的にはそれ以上でもそれ以下でもない。製作者としての実績から彼の「作りたい作品」の傾向はよく分かる。だが、それが実践出来ているかどうかは別物だ。

前半までは面白い。だが、その面白さは「話が広がっていく面白さ」であり「これからどうなるんだろう?」という興味によるものだ。 この「広げた風呂敷」をいかに綺麗に畳むかに監督の手腕が掛かってくる(監督が脚本をコントロールするという意味を含めて)。 ところがこの映画は、肝心のクライマックスへ向けた「逃避行」辺りから失速しはじめる。 広げた風呂敷(様々なエピソード)は、ただの「見せ物小屋」のまま何らストーリーに絡まず(山手線の駅名を唱えるのが何だというのだ?)、二人の為のお膳立てにすらなっていない。では「メタファー」かと言うと、もちろんそれが意図なのだろうが、これと言って効果を上げているように思えない。

おそらく鈴木清順の影響もあるだろう。だが清順は「尋常じゃない」のだ。 氾濫するイメージの洪水は、メタファーはおろかストーリーさえも意味をなさず、繰り出される快刀乱麻の「魔球」の前に、ただただひれ伏すしかない。 これが他人に出来るかと言えば、無理な相談に決まっている。 ましてや元々ピッチャーじゃないのだ。魔球なんぞ投げられる訳がない。

正確に言えば、魔球を投げたいのか直球勝負したいのか分からない。 イメージの氾濫で幻想世界に我々を誘いたいのか、真摯かつ冷徹に二人の姿を追いたいのか分からないのだ(胡蝶の夢ってことなのか?)。 マウンドに自ら上がった監督は、「いろんな球でも投げたい」と欲張ってしまったのかもしれない。いや、欲張りたくて自らマウンドに上ったのか。

(評価:★3)

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