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[コメント] ビヨンド・ザ・マット(1999/米)

愛とは労働であり、彼らにとっての労働とは、すなわちマット上で血みどろになるまで殴り合うことなのだ。愛溢れるドキュメンタリー映画。『フリークス』達の『』。これが人生だ!! 分かってんのか!!

分かってんのか!!

…ってのは、勿論(?)シャキっとしないテメエ自身や、あるいは私と同じ様な澱みで甘んじているかもしれないひとに向かって言ってみたいだけなので、べつに怒らないでほしい。あなたのことではない(多分)。

アメリカ・プロレスのことなんて、正直これっぽちも知りはしないのに、そこに愛があることは分かる。如実に分かる。そこに登場する有名無名のレスラー達やその家族や友人や業界人達は勿論、それを見詰めようとするこの映画の目にも(それはテレビでプロレス観戦する少年の目だ!)、愛が充ちている。

愛とは何か。

愛情飢餓のヒネクレモノは、得てして容易く世間を流通する言葉というものに不信を抱き易い。それは彼にとっては己を疎外する虚しい繰り言としか聞こえず、それでも彼が世界を信じて肯定したいなら、彼はその言葉を自分自身の力で獲得しなければならない。

愛とは何か。

それは関係することだ。異性でもいい、友人でもいい、勿論のこと親兄弟でもいい。あるいはそこにさえ関係を望めないものには神がいる。(「神」とはこの世のどんな辺境、宇宙の果てにまでも到達する愛の概念装置だ。)私と何かが関係すること。その中にあること。それが人が「愛」と呼びたくなるものの実相ではないのか。ではそれを実現したければ何をするべきか。労働だ。只管、関係してくれる者達の為に労働するのだ。(その意味での労働とは、たとえば日常的に言えば毎日行く仕事場の机を拭き掃除したり、あるいは夫や妻や子供達の為に毎日料理を作ったりすることだ。)それが、それだけが私とこの世との絆を結んでくれる(*)。

劇中のレスラー達は、家族との愛や仕事の栄誉に充たされた人生を送る者がいれば、また巨大な体躯をしながら果たされぬ肉親の愛に涙する者もいる。これからの人生に夢を馳せる若者がいれば、駆け出すところで痛恨の傷を負ってしまう若者もいる。家族の為に血を流す父親がいれば、それを見守りながら悲鳴を挙げる家族がいる。そしてそれを見詰める、プロレスファンの少年の目。

「愛」ってそういうものだろうと、思う。

*)それは「この世との絆」というよりは、本当は現行の社会との絆を結ぶ為の営みでしかないのかもしれない。ショウビズエンターテイメントと化したアメリカ・プロレスが現行のアメリカ社会の消費の欲望に応える為に存在しているように。(劇中ではその傾向を嫌って日本プロレス界=つまりアメリカ社会の外部へと行きたいと漏らすレスラーにもちらりと触れられている。)けれども、現行の社会の内部で労働するしか絆を結ぶ方法がない以上、結局、私"達"はそれをするしかない。それが“大人になる”ということではあるのだろう。その中で如何にして自分自身の関係を見出すか、自分自身の居場所を見出すかが人生なのだと言ってしまえば、まぁうまいこと収まるような気もする。

(評価:★3)

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