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[コメント] 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2007/日)

最初の1時間、60年代の学生運動の歴史勉強はやや退屈ではあるが、世界的に革命が流行する当時の浮き足立った時代性が理解できる。そんな「時代の流行」に流されちゃった若者達の視点から描いた、歪んだ青春ロードムービー。080713
しど

密室を舞台とした内部視点の映像は、中盤のリンチ現場にあって、随分と苦痛である。いつしか、作中人物達と同様に、「自分に矛先が向けられたらどうしよう」と、危機感にとらわれる。閉鎖的な環境にあるだけで人々はストレスを覚えるが、加えて、厳しい上下関係と殺人をいとわない組織性があるのだから、ああした結末は当然だったかもしれない。

本来の指導者たる中心人物達が逮捕されたり国外逃亡したり、偶然性による不幸は、組織の核が曖昧だったことだろう。成り行き上、たまたま連合赤軍の指導者になった人物、男の森は脱走というトラウマがあり、女の永山は不細工というコンプレックスがある。その二人が男女の仲で結びつく。転向者によくあるタイプだが、「弱さ」をモチベーションにした権力者は、自分の弱さを覆い隠すために必要以上の理想を掲げがちだ。弱さを前提にした指導者二人が愛憎の延長で組織運営したことで、連合赤軍の不幸は増幅してしまった。

恐怖の合言葉、「自己批判」と「総括」。彼らは小難しい言葉を並べて理論武装していた。しかし、武装したのは表面的な言葉と銃だけ。実際、彼らは若かった。犯罪組織に属す異常な環境での経験のみで、社会での実体験は少ない学生ばかりだ。むしろ、遠山や山本順一のように、働いた経験のある者があっけらかんと殺されていったのが、あの空間での理想と結論だった。単なるイジメに過ぎないのに、上っ面な言葉だけの「理想」が権力を持つことでさらに暴走し、リンチ殺人というイジメを「教条」で正当化する。そして、いつしか教条に自縄自縛される。

主人公達がようやく陰惨なベースを出てあさま山荘に向かうシーンになると、なんともいえぬ解放感を覚える。山荘内での食事風景も楽しそうだった。世間的には山荘での篭城が事件になるが、実際は、この作品のように、山荘にいたる道程こそが大事件なのだ。だからこそ、この作品が、執拗に組織の発生時から描いているのは正解だ。

篭城中、外から聞こえる母親達の声に、思わず自分も涙が出た。社会を良くしようとした心の持ち主が、時代の流れの中でいつの間にか殺人者となってしまった。一緒に囲んだ子供時代の食卓を思い出し、自分がどうして銃を持って母に対峙しているのか、後悔したかもしれない。

作品の一つの軸は、重信房子と遠山だが、監督は当時、中東で重信を撮影し、日本での上映活動で遠山とも知り合っているとか。だから、あの、ごく普通の女の子として描かれた遠山像は、ホントにあんな感じだったのだろう。どこにでもいる、趣味を楽しむ女の子。永田の描写のエゲツなさと比較すると、監督のスタンスが良くわかる。

警察側からの『突入せよ!「あさま山荘」事件』、学生側からながら、劇中劇構成で客観性を持たせたために、やや逃げた感のある『光の雨』、そしてこの若松の作品。若松のはとくに、当時の世相を反映しつつ、理想が挫折し混迷する道程を、学生の視点から丁寧に描いている。できれば、三作品を全て見て欲しい。そうすれば、この作品から、若松なりの総括が終わったと感じられるはずだ。(090313再推敲)

(評価:★4)

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