[コメント] パンドラの匣(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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かつて私は太宰治にはまった時期がある。中学生の頃だから、おおよそ四半世紀も昔のことだ。もっともこの原作は読んだかどうか記憶が定かでない。完全に忘却の彼方。 そして映画を見始めて思い出す。あるある、こういう話。ま、どれもこれも似たようなもんなんだけど。
この映画の宣伝や紹介文には、しばしば「太宰作品には珍しい」「ポップな青春小説」という言葉が用いられているようだ。 私に言わせれば特に珍しくもない。 太宰はいつだってイジイジモヤモヤ、碇シンジ君的な言わば“青春小説”であり、青臭い「途中の作家(by角田光代)」なのだ。
しかし「ポップ」というのは言い得て妙。 実際、自伝的な暗い話は多い。だが、その視点は決してジメジメしているわけではない。 どこか、自己を冷笑するような、自嘲的でドライな視点がある。 加えて、ちょっと妙な言葉遣いや擬音を用い、独特な“リズム感”を醸しだす。 時折、間の抜けた可笑しなことを言ってみたりする。短編なんかじゃ明るい話もあったりする。 これらを総称して「ポップ」と例えるのなら、私の抱く“太宰感”はある意味「ポップ」なのだ。
そしてこの映画は、実に「ポップ」で“青臭い”。 それはまさしく太宰のそれだ。
この話に教訓めいたものは特にない。 終戦を迎え新しい時代になろうとする時流の中で、療養所という狭い“世界”の中で悶々と堂々巡りする思春期の思考。 ただそれだけが描かれる。 自己満足に近い若造の思考が、世間の中でいかに狭量なことかを嘲笑的に描く。 大人への階段を一歩登ったこと、世間へ一歩踏み出すことが、パンドラの箱を開くことに例えられる。 かつて抱いた読後感が、損なわれずに提示されたこの映画に、なんだか懐かしさを感じた。
ちっとも映画評になってないな。
(09.10.11 テアトル新宿にて鑑賞)
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