[コメント] わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993/日)
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明治28年以降の物語。美術だけは力入っていて好感。ドイツ人教授が授業する上野音楽学校、楽器屋での子供教室、労働者の戯れ歌にそんなものが音楽だと思っているのかと喧嘩する牛鍋屋(ランプの緑の傘がいい)。檀ふみ等の演奏会場。
風間トオルは音大生のときピアノ猛勉強して体壊して肋膜炎、東京は空気が汚れとると父加藤剛は呼び戻し、母藤村志保の里で湯治、ここで町の肺病の噂の断片があるが元気になり留学、ドイツで喀血して故郷に戻り自宅療養。当時の結核は入院はしなかったのだった(猪俣作品も同じ)。分教所のオルガンで作曲してのは猪俣作『荒城の月』と同じだがとても短く、幼馴染との交際もない。ドイツの鷲尾いさ子に譜面送って死んじゃって、鷲尾がこれをピアノ演奏するがすぐに「花」に替わりエンドタイトルになるのは詰まらない。
全般に堅苦しい四角四面の作劇で、説明調の科白が固い。滝廉太郎は緊張型の人物としているんだろうし、明治のエリートはああいう喋り方するものかも知れなし、偉人伝だから説明も必要なんだろうし、中学生向きなのかも知れないが、榎木孝明の藤村が「若菜集」ですと自著手渡し檀ふみが「まだ上げそめし」と朗読する件など恥ずかしいレベル。由比クメ渡辺典子たちの唱歌運動に協力して「花」創作するとか個人的には学びもあるが、この演出も恥ずかしい。
引かれあった仲居の藤谷美紀は妾奉公。当時は大分から新潟に行くのは東京経由だったのだという発見があるが、風間の友人の天宮良に偶然会うなんてのは偶然が過ぎるし、その後ほったらかしなのは貧しい(辛うじて科白でフォローがあるが)。ライプチヒ王立音楽院への官費留学、風間も鷲尾も豪勢な生活しているが、これはリアルだろうか。漱石のロンドンはもっと貧乏だった。風間の特訓による鷲尾のピアノ開眼に至っては阿呆らしくなる。柳沢慎吾の絵描きはその後どこへ行ったのだろう。編集で切ったのならいっそ彼の件は全部切るべきではないのだろうか。
いいのは天宮で、風間との別れの件だけは充実したシークエンスがあったし、彼の赴任した小学校はいいショット連発、監督の得手だろう、ほとんどここを観る映画。窓掃除が麗しく、校庭でピアノ弾き児童らが唄う件は『カルメン故郷に帰る』の引用だろう。文部省の官費留学政策をやんわり批判している(日清戦争に買って軍楽隊がほしくなったんだろうなんて揶揄とか)のは官制嫌いの東映っぽいし、風間がやたら血を吐くのも東映らしい。風間も鷲尾いさ子も檀ふみもピアノ弾いていて立派(それとも映像技法なんだろうか)。演奏曲にテロップ入るのはダサい。「わがあいのうた」と読ませている。
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