コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] あにいもうと(1976/日)

戦前撮られた木村荘十二版は兄の父権は当然だった。戦後のナルセ=水木版は新民法下でこれを相対化した。今井版はさらにこれを反転させている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







寝転んで死ぬのは今井正のポーズである。『ひめゆりの塔』の香川京子、『あれが港の灯だ』の江原真二郎、『越後つついし親不知』の佐久間良子、『戦争と青春』の奈良岡朋子。本作はこの応用編の趣がある。秋吉久美子は実家の畳に何度も横になり、万年床に寝てカップヌードルをなぜかスプーンで喰らい、テレビでメロドラマ流しながら昼寝する。そして「毎日毎日考えているのよ」と頭を抱える。

しかし何という肢体だろう。映画はこれをフルショットで撮り続け牛乳まで垂らす。女優の最高の瞬間に撮られたという巡り合わせもあるように見える。再訪の胸の谷間強調、カツラ脱ぎ捨てラークくわえて胡坐。「汚い仕事しているうちはこの家に来るな」と怒鳴る草刈正雄に反撃の卓袱台返し。この野郎と怒鳴る秋吉に、とんでもない女になったと嘆く賀原夏子は昔の人だろうか、今でもそうだろうか。「そんなに変っちゃいないわよ」と応える秋吉が泣かせる。

原作は秩父の話。父の赤座は人夫を大勢抱えた立派な川普請の大将で、これは木村荘十二の映画でも踏襲されている。これを時代遅れの人物としたのは水木=ナルセの傑作。水木脚本を踏襲する本作でも大滝秀治は三面張りになった川に投網を投げており、これはもう狂気である。狭いパチンコ屋で草刈と追い掛け合いをするお互い迷惑な親子。

「東京に出てきなさいよ。こんな処で頑張ってもダメ」と大和田獏を誘った池上季実子は、肝心の駆落ちのときに心変わりする。大和田が気づかない駅の伝言板への伝言の件が、ワンショットで通じ合えなかった関係を捉えて巧い。今井正史上最高のショットかも知れない。武蔵小杉駅の由。

秋吉が工場時代の先輩と頼った絵沢萌子の「ビューティフルサンデー」伴奏のストリップが、何か突き抜けたような名場面だった。亭主のなべおさみと親分の蟹江敬三。こんな人しか頼る者がいないのだと哀しくなる。そして珍しく善人の賀原夏子が素晴らしい。ナルセとほぼ同じ川沿いの茶店で賀原は名物の甘酒を「缶ジュースの時代だからダメ」と云い捨て、アパート林立で井戸水が出なくなったと語られている。多摩川に化学洗剤らしき白い泡の塊が流れている捨てショットも当時を忍ばせるものだった。

交通渋滞で反対車線を爆走する短気な草刈正雄は父親の生き写しであり、父親に殴られるのが可哀想だから自分が殴っていると告白する。そのように頑固は遺伝するという心理学が興味深く浮上している。下條アトムに「俺は妹の黒子の場所まで知っているんだ」「お前にも妹がいたら判るだろう」と云いながら殴る名高い場面。大滝の父も殴らなかった彼を殴るという過剰反応がある。ゾラ流(『獣人』のような)の悪性遺伝に室生犀星は親和性がある人だったらしく、この時期の作品群を「市井鬼もの」と呼び、「復讐の文学」のような評論がある。短編「続あにいもうと」では、中年になったもんは父の赤座が首切り役人だった過去の秘密を暴いて苦悶している。

リベラルな今井はこの遺伝の世界観を共有しない。ラストのトラック。草刈の帰ってこいの一言はヤルセナキオにはなかった反転だった。これが撮りたかったのかとハッとさせられた瞬間、秋吉の大粒の涙とともに映画は終わる。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。