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[コメント] 珈琲時光(2003/日)

漠然とした光景の連鎖は摑まえられず、ずっと後になってはじめて見出されるものだ。小林稔侍の父親が亡くなってはじめて(『出発』のネタバレが含まれます)。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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肯定的な『憂鬱な楽園』という趣。キャメラを転がしての長回しという侯孝賢のこのタッチ、先達を辿れば私は『ありきたりの映画』だと思う(突然に切り取られる風景の箆棒な美しさもゴダールを想起させる)。ただ、ゴダールの構図無視の過激さは踏襲されず穏やかで、綴られる逸話もそれに見合った静かなものだ。

画的には電車マニアのガールフレンドという大枠のなか、国境横断者である一青窈が浮遊する。切り取られるのが古のおしゃれな東京、というのは趣味に合わないが別にいい。人との緩い繋がりを大切にしてはいるが、冷蔵庫は空で、ミルクばかり飲んでいて、商売が好調とは思われず、妊娠している彼女。誠に頼りない娘ではある。いいなと思うのは、彼女と親の関係を描く処で、しかもこの両親が娘に物申すことができないのがリアルだ。宗教に入れ込んだ娘の産みの母の記憶が、父の小林稔侍に娘への説教を躊躇させるのだろう。

小林の撮り方は画期的だ。実家での二日間と娘のアパートでの計三度、床に腰かけてボーとしている姿は照明から外れてただ輪郭だけが黒い影として映し出される。この長尺で静かで異様なショットは、この殆ど何も喋らない小林がすでに冥界に入りかけているとしか取れない。娘にとって、父親と一緒に入る時間はもう限られていると予感されている。娘は将来の視点から父を回想して慈しんでいるのだ、と取って、激しく感動した(なお、この黒い影、小津ということでは『浮草』、若尾文子の逢引を見つける中村鴈治郎が想起される)。

蓮實重彦はエンドタイトルには登場するが、シーンはカットされている模様。想像だが萩原聖人など、もっとカットを重ねた後に山ほど切られたのではないだろうか。浅野忠信の電車マニアぶりもまだ紹介を終えていない段階だし、台湾の音楽家の探求も入口で終わる。妊娠も悪夢の予感が述べられただけだし、親子の関係もこれから一山あるだろう。本作は導入部だけで終わる。映画のような青春など稀だろう。劇的な展開を描かないのは侯孝賢のリアリズムであり、物語はずっと後になってから初めて見出されるものだ、と云っているように思う。スコリモフスキの出発前だけを描いた『出発』が思い起こされる。両作品に共通するのは、出発前の若さへの慈しみである。光る時というタイトルがそれを語っている。

小津に余り拘る必要はないと思うが、上記の感想からは『麦秋』を思い出すべきなのだろう。併走する電車の撮影はすごい(OKを出すまで半月ほど連日撮られたらしい)。昌平橋から見た神田川は好きな風景で、撮られているのが嬉しい。風景の切り取りの独特さはキアロスタミの『ライク・サムワン・イン・ラブ』と共通するものを感じる。なぜか私はいつも一青窈をシシド・ジョウと読み違えてしまう。

http://www.mube.jp/pages/milkhall_7.html

(評価:★5)

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