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[コメント] 地獄の警備員(1992/日)

「許す?お前の何を許すんだ?」「どうする?それは、あんたが決めることだ」「お前はそれを理解することに耐えられない」・・・問いかける「異常者」、そして暗黒に染まる主人公と世界。黒沢清初期作でありながら観る者の「清指数」が問われる清一見さんお断り映画。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ただのスラッシャー映画であれば、主人公への上司からのセクハラとか、粘ついた男性社員からの視線とか、同僚から借金の件で強請られる警備員の件は不要であるが、これが強調される。富士丸は、「お前(主人公)が舞い降りてから全てが始まった」「(イヤリングを落とした主人公を指して)おれを試している」と語る。その上で富士丸の「活動」が開始される。

黒沢清の作品の登場人物はもともと感情を強く顕にしない。さらにここでは主人公役の役者が大根でもあること、どこかあっけらかんとしていることや随所のブラックコメディ感(これも清らしい)で余計にケムリにまかれる感があるのだが、彼女が入社したことで人の歪みが顕になり、彼女や先輩の警備員が、恐らく密かに嫌悪し、憎み、死を望んだ人物から殺されていくのがシナリオ上のポイントだろう。それは観客の視点とも一致する。

要は、「望んだ」から起こった帰結であり、殺したのは富士丸ではない。富士丸は、警備室のモニタで監視し(神の視点)、追い縋って殺人を重ねるが、本当の意味で殺したのは、主人公や先輩警備員、観客だと言いたいのだろう。圧倒的な力をふるう富士丸やその世界を創る監督ではなく、暗黒を抽出されたのは主人公や我々なのだ。「それを理解するのには勇気が要る」のは、自らが殺人者であること、己の暗黒を認めることだからだ。「おれを覚えておけ」というのは、自らが殺人者であることを記憶しろということだ。主人公はこれを「理解」して生かされ、先輩警備員はこれを「理解」しえずに価値なしとして殺されたのだろう。そして、これを記憶した彼女、己の暗黒に染まった彼女は、社屋を出て、「世界」に帰って行く。その先には新しい破壊が待っている。呆けたような表情ながら、その足取りは確か。「継承」を終えた富士丸は命を絶つ。世界の滅びの示唆。まったく清的なモチーフではないか。清なのだから、やはりこれくらいの意図はあるはずだと思う。それが分かったところでなんやねんと言われたら返す言葉もないが、思っちゃったんだからしょうがないというところである。

・富士丸の顔をよく見せない撮影・照明は、恐怖演出の一環であるのは当然だろうけど、この暗黒が誰の中にもある、「代入」できる器、という意味合いが込められていると思う。

・富士丸が壊したドアノブの後にぽっかり空いた「穴」。これを見つめる主人公。己の暗黒を見つめる。「期待」に応えて、暗黒が蠢き始める。「穴」がうまく演出されている映画はいい。

・ロッカーの圧殺も怖いが、給湯室の殴殺が怖い。昔から鈍器が好きなのね、、、でもここでの重量感のある打撃より、後期の骨が鳴る、その軽さに背筋が寒くなる「コッ」て「白っぽい音」が強調されるのが好みかな(←危ない)。

(評価:★4)

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