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[コメント] 宮本から君へ(2019/日)

したり顔の他者の理解、介入を拒絶する「聖域」の「愛(と便宜的に呼ばれるもの)」を描いて究極的。新井英樹の世界の住人には異様な「筋」が通っている。共感できない、理解できない、でもそこには汚濁が突如聖性に変換される瞬間があって、その時いつも僕は立ち竦む。狼狽える。心がかき乱される。そういう得体のしれない「動揺」を与えてくれるものは、そうそうない。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







おかしな題名だと思う。「君へ」とか銘打っておきながら、受け手のことは眼中にない。(アンタらに関係ねえことですよ!)

世界全部を敵に回すつもりだという。街中でキスをして、筋トレをする。職場の視線に晒されつつ、痴話喧嘩を演じる。マンションの非常階段という日常空間で「死闘」を繰り広げる。どこまでも自己愛の男で、ほとんど「お前をネタにオナニーしてやるからありがたく思え、俺と一緒にいろ!」というにも等しい汚物塗れの吐露が当人には聖なるものに転換する。傷つけるために愛するのか、愛するために傷つけるのか、融合せんばかりに抱きついたかと思えば匕首突きつけあって離れたり、次第に生やさしい「愛」という言葉が瓦解して、なんだかよく分からん化け物になる。でも当人同士には「筋」が通った「愛」なのだ。それらしきものなのだ。

これを共感したとか感動したとかいう受け止め方を僕は信用できない。そういう受け止め方ができる覚悟、度量がないし、そんな人間は一握りもいないと思う。いつも新井英樹の作品には「対峙」を強いられる。そして、いつも負けて打ちのめされる。いつだって半分も理解できていない、ただその動揺が、世界の見え方を新しくしてくれる。

・・・

演出は理解、介入の拒絶という点を踏まえて的確。他者が眼中にない、その振る舞い(視線が向けられるが、それらとはほとんど視線を合わせない)。

主演二人は言うまでもなく凄いけれど、蒼井優の演技は靖子の造形に、気丈に見えてどこか無理をしてるニュアンスを(僅かに)与える匙加減が絶妙。佐藤二朗のセクハラ発言に吐き気を催すのは悪阻のためではなく生への嫌悪のニュアンスも滲ませる。 (この佐藤二朗やピエール瀧の造形も、彼等らしい「筋」があり、単純な露悪で描かれていない新井英樹らしい一筋縄でない複雑さをとらえて演出されている。)

美しいとはとても言い難い繁華街で世界に背を向けて交歓する、というシーンが美しいとしかいいようがない明かりで撮られるのは、新井英樹の重要な要素をうまく抽出していると思う。別監督だが、『愛しのアイリーン』でも同種のシーンがある。

時系列の調整は一種の要領の良さとも思うが、これは好きではない。宮本が法の領域を(辛うじて?)超えなかったのだというところが開示されてしまうと、緊張感が失われてしまうと思う。ここはドラマ版はどうだったのだろうか(未見)。

余談だが、この監督の『ディストラクション・ベイビーズ』は好きではなかった。ネットに同様の評が転がっているが、『ザ・ワールド・イズ・マイン』のよく言えば地に足のついた、縮小再生産でしかなかったように感じたからである(公式に原作扱いされていないが元ネタなのは間違いなく、新井英樹が舞台挨拶に登壇しているのもこれを裏付ける。そして、うまくいっていないと思う)。今回は新井英樹の世界を見事にモノにしたと思う。ここから新井英樹を離れたらどうなるか、という個人的な興味がある。

更に余談だが、新井英樹の人間観については、『愛しのアイリーン』の愛蔵版(?)に寄せたあとがきを読むことをお勧めする。唖然とさせられること請け合い。紛れもなき人間愛でこれらのキャラクターを紡いでいる。やはりイカれているし、天才なのだろうと思う。

もう一つ余談だが、「聖域の愛」モノ(何だそりゃ)で挙げるのは次の作品群。『蒲田行進曲』、『風立ちぬ』、『ファントム・スレッド』、『インヒアレント・ヴァイス』、『ブギー・ナイツ』、『ザ・マスター』、『キル・ビル』。沢山見ているほうではないので、もっといいのがあれば教えて頂きたい。

(評価:★4)

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