[コメント] 七年目の浮気(1955/米)
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表現の自由を巡る闘争を、その創作を通じて成し遂げてしまうという、ワイルダーの偉業に感嘆する。「不倫を面白おかしく描いてはいけない」というヘイズコード回避策として、イーウェルは想像を膨らませ、バリエーション豊かな挿話が映像化されているが、それらはストーリーに貢献しているばかりか、未来のハリウッド映画への可能性を高らかに謳いあげてもいる。実際、「三つ数えろ」ばりの扉破壊シーンで始まるイブリン・キーズの復讐劇は、本編の、正統的夫婦愛が賛美される古典コメディ映画の陥落後の姿を予兆しているではないか。
性的表現を迂曲することで生まれる含み笑いの洗練さは、全編を通じて匠の域に達している。最大限にセンセーショナルな地下鉄のシーンも、その前後の会話の軽妙な筆致があればこそ成立しうる。特権的身体性を自覚しているモンローも素晴らしいが、イーウェルの受けの見事さは何度見ても色あせることはない。
大部分がリビングルームで推移するお話が、彼の舞台俳優ならではの空間適応能力と、途切れることのない独白のリズムに調和している。芝居が観客席に解放されているというイメージは、「映画の現実」と「社会の現実」の垣根を消してしまう。いみじくもイーウェルが口を滑らせてしまうように、モンローが配役上も"HERSELF"としてそこに居ることを可能にするのである。そのモンローの社会的カリスマ性が映画作家や制作会社の戦略と一致し、倫理規定に対する民主的勝利を得ることになるのだ。
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