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[コメント] それでもボクはやってない(2007/日)

あるいは日本映画における俳優行政について
地平線のドーリア

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







周防正行が「Shall we ダンス?」を撮り、各方面から注目と絶賛を集め、素晴らしい興行成績を残し、さらに逆輸入ハリウッドリメイクまでされた後、彼の名は、最も待望される映画監督となっていた。それは、観客や映画業界はもちろん、かつて周防組に出た俳優たちにとってもそうだったろう。 ついに周防組が動くとなった時、多くの俳優が「何でもいいから出たい!」となったという。それはある監督にとっては嬉しいことだが、作品にとっていいこととは限らない。もちろん、周防監督もわきまえているだろうが、映画のキャラクターとそぐわないキャスティングは観客を冷めさせる最も強い要因の1つだ。 今回の内容の場合、加瀬亮以外は無名の俳優を使うべきだったのではないか? 役所も瀬戸も、さらにいえば小日向も大人計画の正名僕蔵も、もたいまさこも山本耕史もいらなかった。彼らが役者として持つ、いわゆる「イメージ」固定された印象は映画の質を落とした。竹中直人や田口浩正はいうまでもない。もし、どうしても演技として彼らクラスのレベルが必要なのだとしたら、もっと髪形を変えるとか、外見的な印象を変えるべきだったし、演技として彼らの癖を押さえ、冷徹に市井の人を演じさせるべきだったろう。 キャスティングは北野映画で有名な、吉川事務所だがきっと各俳優事務所から来る出演したいという希望に我を忘れ、それぞれ有名俳優を監督に推薦したのだろう。 まさか、監督が竹中直人らのために、ちょっとした場面を作ってやったということはないだろうが、そうかなと思うくらい邪魔な印象を持った場面もあった。 有名俳優を使えば、客が入る時代ではない。特に、竹中直人や山本耕史、徳井優、本田博太郎、などという確かに有名だが、主役を張るほどではないという役者たちをネームバリューがあるからといって、脇役にだすことがいいことではない。むしろ、悪影響になることがある(そしてそれが観客動員にプラスになることはないといっていいだろう)。今回の作品はまさにそういう例として語られることだろう。

それというのも、加瀬亮の演技が非常に自然で素晴らしかったからだ。彼の周辺にいる人物は、特に警察関係は匿名の、冷たい記号のような顔で埋めてほしかった。 そうした人物たちに演じさせてこそ、周防監督独特のおかしみを感じさせる会話・コミュニケーションは上手く描かれたのではないだろうか。

日本の役者はいい、といわれることがある。それは、しかしきちんとした方法で使ってこそなのだ。作品の邪魔になるキャスティング・プロダクションの俳優行政はいい加減にしてほしい。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)NOM HILO[*] Carol Anne 浅草12階の幽霊 けにろん[*] sawa:38[*]

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