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[コメント] 風が吹くとき(1986/英)

夫婦の戯画化された小市民っぷりは、素朴というよりロボット的。微笑ましい平穏な日常と戦争の対比が恐ろしいというより、国民としての義務感に盲目的に従いつつ、殆どゴリ押しのように日常生活を営み続ける機械的な頑なさが恐ろしい。この夫婦はゾンビだ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ゾンビ』のゾンビが、生前の従順な消費者としての惰性的な習慣を繰り返すように、世界が死んだ後も夫婦は、既に喪失された生活を繰り返す。不気味だ。

画面の、絵本のような平面性を打ち壊すように、時折3Dや実写が介入してくる仕方は、やりたい気持ちは分からなくもないが、どこか小賢しくも感じさせられる。使い所にもうひとつ明確な演出意図が見え難いのがその原因だろう。

演出的に白眉なのは、核爆弾爆発シーンの絵の怖さもさる事ながら、そこに被さる、夫に「シェルター」に押し込まれる直前に妻が放った「ケーキが焦げるわ」という台詞のリフレインだ。世界が焦土と化していく事と、「ケーキが焦げる」という矮小な出来事のコントラスト。世界の破滅の直前に、ケーキごときを心配している事の滑稽さ。だがケーキが象徴する平凡な幸福が丸ごと焼き尽くされていく事の恐怖。

一方、ベタな幸福感を醸し出す回想シーンには感心しない。先述した小市民っぷりもそうなのだが、この夫婦はひとつの典型的なキャラクター、イメージの域を出ておらず、かけがえのない一個の夫婦としての実在感が希薄なのだ。

終盤の、夫婦が放射能の影響で衰弱していく辺りは確かに、禍々しい疲労感が募っていくのだが、それは彼らの悲惨さに共感してなのか、それとも死に瀕してさえ小市民的な愚鈍さから一歩も出ない鈍重さが観ていて疲れるせいなのかが不明。果たして作り手側は、このキャラクター達を愛しているのか疑問に思う。

(評価:★3)

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