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[コメント] 冬の小鳥(2009/韓国=仏)

殆どのカットが少女ジニ(キム・セロン)を中心に捉え続け、また、彼女の眼差しの対象を、彼女の目線の高さで捉える。それによってジニの孤独も際立つのだが、と同時に、カメラだけはずっとジニを見守り続けているという温かみをも感じることができる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







このカメラの眼差しを聖母マリアの眼差しだと言うには、劇中のマリア像の白さは冷たく硬質に過ぎるのだが。ジニの眼差しと観客のそれとの、一致と差異が際立つことで強烈な印象を残すのは、父の顔を観客が視認できるのが、皮肉なことに、孤児院に娘を預けた彼が去っていく間際の、ジニの目に映ったその姿が最初にして最後だという点。

父との道中のシークェンスでジニが見せる屈託のない笑顔が、これ以上は望めないと思えるくらいに柔らかく愛らしい。孤児院に預けられた後しばらくは、泣き顔にもまだ柔らかな幼さが残っているが、気がつけばその表情は、表面的には平然としても見えるが、感情が止まってしまったかとも思えるような静かさが却って哀しい。アメリカ辺りからやってきたと思しき男性が子どもらに滑稽な人形劇を見せるシーンでは、ジニの顔にも久しぶりの笑顔が現れるが、すぐに、表情が停止したような顔に戻る。瞬間的に滑稽さに笑うことと、父と一緒の幸福に浸るなかで見せるような、柔らかく、全てを委ねきった笑顔とは、質的に全く異なるものだと感じざるを得ない。一緒にアメリカに行こうと言っていたスッキ(パク・ドヨン)が一人で去った後のジニの表情は、孤独と哀しみとが遂に鋭角的な敵意に変じた硬質さを見せる。

小鳥の屍骸をスッキと埋めた地面を、独り木の枝でつつき、掘り返すジニ。小鳥の屍骸を見つけると、しばらくそれを握ったまま見つめているが、ポイと捨ててしまう。以前は孤独のなかでも小鳥を慈しむ感情がまだ残っていたジニだが、それすら捨てて、自分が小鳥のように地面の下に埋もれてしまおうとする。感情的にも、肉体的にも、他者と世界から離脱しようとするジニだが、息が苦しくなるという正直な反応によって、生へと復帰することになる。自分を土に埋めるという行為の、『テオレマ』ふうの幻想性は、それまでの静謐で現実的な作品世界を壊しかねないところもあるのだが、絶望しきったジニに、まさにその絶望のなかで生へと復帰させるには、こうしたシーンも必要だったとも思える。

ジニが院の生活を受け入れていくシークェンスに於いては、テーブルに並べられた食事を払い除けていたジニが、空腹に駆られて厨房の残飯を口にするシーンがあった。息をする。ものを食べる。そうした、最低限度の体の欲求が、ジニに現実を受け入れさせていくのだ。これはもう、少女の意思がどうとかいうことを超えたものの働きだと言える。

ジニが「墓」から「復活」(小鳥の墓に立てられていたのも小枝の十字だった)した後の、院の記念撮影シーンでの、「笑って」と言われたとおりにジニが見せる笑顔は、屈託がないと言えばそうなのだが、父と一緒に居たときの、自然にこぼれていた笑顔とはやはり違うのだ。あの柔らかさとは違う、孤独や哀しみに抗って笑みを浮かべるための力を、顔の動きに感じさせられる。その力強さに、痛ましさと同時にある希望を感じるのだ。

(評価:★4)

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