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[コメント] 家族の肖像(1974/仏=伊)

絵に描いた餅は食えない。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







教授が求めていたものは「家族の肖像」ではなく「家族」そのものだった。おそらく教授は、実際に理想の家族像を実現しようとしたものの、現実は思い通りにはならず、そのかわりに「家族の肖像」を集めることで自分の思いを満たそうとしていたのだろう。しかし「家族の肖像」に描かれるような理想の家族とは「絵に描いた餅」であり、それは「絵に描いた家族」の中にしか見出すことができない幻想だった。つまり教授は、理想の餅を思い描くあまり、現実の餅を受け入れることができず、いつしか絵画という非現実な餅に逃避していたと言える。そしてそれは現代に生きる我々にも当てはまる。近年の未婚や晩婚の傾向に見られるように、理想の結婚という幻想を追い求めるあまり、なかなか現実を受け入れられず、新たな家族関係を築けずにいる現代人などはいい例である。またそんな現代人が、ネットやゲームやケータイに没頭してしまうのも、現実の世界よりも「画面」の中という非現実な世界で自分の思いを満たそうとする行為といえ、それは「絵画」という非現実な「画面」の中に逃避していた教授の姿と大差ないと言えるだろう。我々は「画面」の中に描かれた「絵に描いた餅」を追い続けてはいるが、それは果たして本当の餅と言えるのだろうか。そう考えるとこの映画は、まさに現代社会を予見した映画と言え、改めてヴィスコンティの先見性に驚かされるばかりである。

現実に向き合うことは教授のように辛い結果しか生まないのかもしれない。しかし否定してしまっては何も生まれないのだ。この映画には「例え現実に挫折し傷ついても、最期まで自分が本当に求めるものを追い続けろ」という死に瀕したヴィスコンティの生のメッセージが感じられる。しかし頭ではわかっているが、なかなかそれができないのも我々の「現実」である。結局人はそんな風に思いつつも何もできずに年をとってゆくのかと思うと、教授の姿は特別でもなんでもなく、ごく普遍的な人間の姿と言え、いかにヴィスコンティが人間の本質を的確に捉えていたかがよくわかった。自分にとって本当の餅とはなんだろうと振り返りたくなる、そんな映画だ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ジェリー[*] 甘崎庵[*] ジョー・チップ[*] ina

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