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[コメント] おとうと(2009/日)

硬骨漢山田洋次が世知辛い世の中に怯むことなく真っ向から、理想の人情と人生を描いた映画。ささやかな幸せと幾ばくかの後悔をともなって、生きていることについてのまごう事なき実感がある。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







経済的な繁栄や、俗に「エリート」と言われる仕事はそんなに立派かということをのっけから問いかけてくるように思えた。

姪の結婚披露宴で、笑福亭鶴瓶が見せた醜態は、確かに披露宴の当事者やその直近の親族にとっては、いたたまれない気持ちにさせる赤っ恥ではある。しかし、それ以外の人にとっては、少なくともスクリーンに直接描かれた鶴瓶の酔っ払った行動は、いささか迷惑は感じてもそんなに非難されるようなものではなかったのではないか。

別に暴力沙汰を起こしたわけでもないし、テーブルをひっくり返したのだってわざとではない。むしろ、それこそ映画に出てくるような人情派の遠縁のおじさんとか、物分りの良い理想的な上司なら「めでたい席でよろこんでいるのだから」と大目に見てもらえるようなもんだと思うが、エリート医者の「名家」にとっては、その血縁者を嫁にするなど我慢のならないことらしい。

そういうことをさらっとおちょくってから本編が始まる、そういう映画ではないだろうか。

だがそれ以上に山田洋次の気骨を感じさせたのは、鶴瓶が最期を迎えた民間ホスピスの描写だ。その費用を払おうとした吉永小百合に対し、これまたさらっと小日向文世は「生活保護の範囲でまかなっているから」と説明した。

「ああ、そうか」という気もする。生活保護行政の現実には、こういう事例もあることはあるだろう。しかし今、生活保護は公の財政にとっては鬼門に等しい扱いをされ、「うちで引き取ることも覚悟している」という親類・縁者がいるのならそうしてもらって生活保護は辞退しなさいと「勧告」(時には「指導」、そして事実上の強制もある)される例の方が圧倒的に多い。

「生活保護は元は国民の税金」、「甘えている」、「自己責任だ」、「保護を受けずにもっとひどい状況でも我慢している人はいる」、「無駄を排し効率的に」、などなど。

こんなことを言い出せば、この映画は成立しないだろう。「政治的に正しい」映画として、自己責任の原則にのっとって鶴瓶は姉の家に引き取られ云々では、なんだか社会派ドラマになってしまいそうだ。

「人情とか人生とか、幸せとかって、そういうものじゃないでしょう」という山田洋次の声が聞こえたような気がした映画だった。

蒼井優の最初の結婚式と2回目の結婚式の前日の、食事のシーンの加藤治子はある意味、象徴的でもあった。彼女の、鶴瓶に対する評価の劇的な転換は、彼女自身が認知症が進み、いわゆる「弱者」になったことによって生まれたようにも見える。「自分がそういう立場になって初めてわかることがあるんじゃないですか」という、やんわりとした指摘なのかもしれない。

望遠でとらえた通天閣のショットはさすがにばちっと決まっていた。この点もやっぱり山田洋次だなと思ったが、今回はそういう遠景のズームからアップへいたるカットに動くものがなかったのがちょっと寂しい。いつもなら電車とか車とか動きがあったと思うのだが、新幹線みたいに時速200キロで動くものばかりではやりづらくなったのだろうか。

また今回、再び、思わぬところで女優さんの足首のアップが現れた。やっぱり山田洋次監督は足フェチなのだろうか?自分の映画に出てくる女優さんの足のどアップのカットばかりを集めて時々、ニヤニヤしたりしているのだろうかと、ふと思った。硬骨漢だけど。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)たいへい TM[*] セント[*]

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