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[コメント] LOVE LIFE(2022/日)

冒頭の団地の部屋及び周辺の空間造形には唸る。矢張り、図抜けた画面造型の力があると感じる。木村文乃がバルコニーに出ると、その下には運動場があり、夫の永山絢斗と友人(後輩)たちがいる。これにより、俯瞰仰角で高低を意識させる画面を作る。
ゑぎ

 また、外廊下(玄関前の廊下)から見える向かいの棟には、永山の父母−田口トモロヲ神野三鈴が住んでいて、棟と棟を挟んだ会話シーンによって、空間に広がりを持たせて提示する。あるいは、部屋の中にしても、木村と永山が和室の障子に隠れて抱擁する、その後景のリビングには、オセロをする息子が映っている、といったショットや、誰も映っていないバスルームにゆっくりとドリーで寄っていくショットなど、見事だと思った。

 こういった力のある画面はラストまで継続する。つまり、全体として、とても力のある映画だと思う。建物の間を徒歩で移動する人物を追うハンディカメラのショット(木村と永山のそれぞれである)だとか、バルコニーにつるした鳩よけのCDに反射する光の扱いだとか、とりわけ、ラストカットとその一つ前の2つのショットの素晴らしさについても言及したくなる。ただし、画面造型に対して、特に中盤以降の作劇というか、人物造型といった方が良いかも知れないが、人物の言動には、にわかには首肯できない、素直じゃない点が目立ち始めて困ってしまったのだ。

 例えば、前半で、永山の父母−田口と神野、それぞれに取り乱す場面があるが、もう一方が冷静になだめる役になる。つまり、取り乱す人となだめる人を逆転させて見せ、人の多面性を印象付ける。こゝまではいいと思ったが、そういった人間の複雑さを前提にしたとしても、後半の木村と永山の行動とその演出は、私には、素直じゃない点が多いと感じられるのだ。少し例をあげると、木村が浴槽に浸かっているシーンで、壁の大きな鏡を唐突に見せるのは良いのだが、パク・シンジ−砂田アトムと手話で会話させる演出で、彼女の心持ちの変化、もっと云えば彼女がやろうとしていることを表現できているとは、とても思えなかった。他にも、私は、猫のエサを買って帰って来た木村に、永山がキスを迫る場面の演出が、とても不自然に思えた。こゝから続く猫の捜索と発見、郵便の到来といった展開も同様に不自然だ。そして、釜山に近い、屋外の結婚パーティ会場の場面における、土砂降りの中での木村のダンスを、背中側からしか見せないのも、いかがなものだろう。つまり顔の表情が隠蔽されているわけで、やっぱり、素直じゃないよなぁと思うのだ。

 さて、本作は、人の目を見ること、目を見ることができるようになること、について描かれている、という見方もできると思うが、この部分は上でも書いた、ラストカットの一つ前のショットで極めて簡潔にクレバーに示されていて、感動した。しかし、山崎紘菜から、この点を指摘される場面も含めて、決して切り返し(ショット/リバースショット)でこれを表現しようとしない、ということが重要だろう。どんなに手を尽くしても、映画においては視線の交錯を表現することには限界があるのだから(というか詐欺まがいの表現になるのだから)。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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