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[コメント] 軽蔑(2011/日)

あまりにも乖離の激しいふたつの要素がせめぎ合う画面。原作の20世紀だからこその設定と、廣木隆一ならではの画面構成とが混沌模様を呈し、調和なきままに暴走を続ける。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







少なくとも「フェイクの時代」がこの21世紀の現状だということを、監督は勘定に入れるべきだった。銃を多用する「プロのやくざ」と、ストリップで大人の観客を酔わせる「プロのダンサー」との恋愛劇は、20世紀らしさにあまりにも溢れすぎていた。ここで完璧な演技を求めれば求めるほど、この物語は違和感の塊となる。

そしてこの映画には、監督の影が色濃く現われすぎていたことも原作への敗因であるだろう。ロングでの群像描写や、自動車の窓外に広がる整然とした夜景は、『ヴァイブレータ』などでも顕著である廣木お馴染みの手段であり、それはイコール都会の静寂と「ふたりぼっち感を漂わせながら感情移入を拒絶する」テクニックである。しかし原作は他人事のようにドライに見させない筋書きを持つがゆえに、ここに個性の生み出した違和感が生まれ出でる。

それは例えば鈴木杏にもいえることだ。彼女が「エッチな映画を沢山観て研究した」という濡れ場の即物的なエロティックさと、仲間たちとの交流場面で付いて出る彼女の地が出たと思しき「イマドキの娘」描写は、やはり個性ゆえの違和感で水と油の二層を成す。鈴木がこの5年ほどで意識していたような「セックス描写が女優を磨く」という信念は、やはり錯覚であったことを露呈してしまった事実はなんとも辛い。鈴木の成長を見たいがためにこの作品を鑑賞した自分からすれば、のんきにオールヌードを喜ぶ気にはやはりなれないのだ。

誉めたかったがその対象を掴み取れなかった、廣木と鈴木のファンとしては、実に悲しい作品であった。この違和感ののちにいきなりラストに向けて疾走する「破滅的大団円」も、ふたつが混じり合ったような色を見せながら、実際二層の列を崩そうとして果たせず、ただ冗長なだけの終幕であったのも、空虚なため息とともに椅子を立った原因であった。憂歌団…およそ似合わない。

迷走はいつまで続くのだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)直人 ぽんしゅう[*] worianne[*]

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