[コメント] 息もできない(2008/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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遣る瀬無い映画である。
借金取り立て屋ヤン・イクチュンと、女子高生キム・コッピはそもそもの生い立ちに繋がる位置づけから、半ば運命的に惹かれあう。彼らは尊ばれるべき過去を過ぎて腐敗した父親によって育まれ、母親を失うことで優しさを受け取ることなく育ち、それゆえに儒教思想だけは押し付ける父親を憎んでいる。そして男には姉が、少女には弟がいてそれぞれに立ち位置は似通っているがために、二人は恋しあうように互いを求める。
立ち位置が同じなのは姉弟の中においてだ。姉は父親の暴虐に耐えながらもそれなりに子の義務を果たそうと努力している。弟はそんな出来た姉の真似は頭の出来からも、他者を悉く蔑むように造り上げられてしまった性格からも出来はしない。だが、心の底にあっては愛情に渇いている。ここから結ばれた愛情は、お互いの肉親の役目換えをするような一種いびつな代物だ。だから、年齢が逆転しているというのに少女の男への愛は、この社会が受け入れを拒んではいるが、優しさを秘めた不器用な弟への姉の慈愛にも似たものとなる。
だが、弟はあくまでもアウトサイダーとしてしか生きられない男だ。この社会の掟にも、良識にも当てはまらない男は、少女の生きる世界と決別を既に終えている。それゆえに彼が少女のために牙を捨てたとき、即座に別のケダモノの牙に掛かって果てたこともまた当然だった。少女ヨニの立場に立ってみれば、男サンフンが実姉や甥、そして曲がりなりにも優しさを持った上司とともに生きることで「人間らしく」なってゆくのは好ましいことだ。しかしながら彼の罪はそれで赦されるほど浅くはなく、世界はサンフンを粛清する。それを行なう代理人が新たなアウトサイダーとしての、少女の弟であったことは示唆的だ。それがラストに於ける少女の衝撃へと繋がってゆくのだから。
思えば、主人公は社会道徳がのっぴきならないところまで追い詰められたところで吐き出した一種の膿…綺麗な言い方をすれば新たな社会構成員の誕生を告げる胎動の様なものだったのではないだろうか。彼は母殺しを犯した父に対し「糞野郎」の呼びかけを忘れなかった男だったが、反面父親を愛していないわけではなかった。旧世代への親愛の情は持ってはいるが、それを表現する前時代的なプロセスを知らない新世代なのだ。それゆえにこれは韓国のみならず、普遍的に地球人の誰しもが共感を持ちうる悲劇となっているといえるだろう。
この物語を渾身のエネルギーを持って描ききり、なおかつ演じたイクチュンのパッションに自分は瞠目させられた。韓国映画が紛れもない「現代に繋がる明日」を予見するパワーを秘めていることの証左を叩きつけられた新鋭監督の誕生に戦慄を覚えさせられたのである。
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