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[コメント] 夢(1990/日)

天才の世界。 長文、御免!
いくけん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







黒澤明のカラー映画での中で、最も輝いている作品。とにかく、この映画のたたずまいが好きです。

まずは、各、エピソードのコメントなど。

第1話「日照り雨」

大胆な狐の嫁入りの映像化。狐の行進の振り付けの見事さ。一斉に振り返るタイミングに、息を呑んだ。

第2話「桃畑」

奥座敷の深い桃色のライティング。ほんのりと紅をさした娘の感じが良く出ていた。こっちの頬までほんのりと、赤くなった。あと、桃畑のひな壇の色彩の豊かさに感銘を受けた。日本のいたるところで、微妙で美しい様々な色合いが消えていく。

第3話「雪あらし」

このエピソードには、私も遭難しかけた(笑)。原田美枝子にしては、綺麗でないし。この話がなければ、5点なのに!

第4話「トンネル」

秀逸のひとこと。赤い裸電球一つで戦争という行為の異常性を、狂犬一匹で戦争という行為の禍禍(まがまが)しさを表現する、天才の手腕に脱帽。

第5話「鴉」

勝因はマーティン・スコセッシの起用にあり。ひたすら芸術に邁進するゴッホと、白黒の蒸気機関車のモンタージュに静かな感動を覚えた。黒澤の姿もこれに重なる。

第6話「赤富士」

北斎を思い出した。この題名は、ひどく恐ろしい。集団レミング化した人間達が、ひたすら、哀れで。東海村の原発事故の報を聞いた時には、真っ先に、このエピ−ソードを、連想した。

第7話「鬼哭」

こちらも、配役の妙。いかりや長介、長大なる者の悲しさを感じた。

第8話「水車のある村」

奇跡ともいえる位に現出される至福感。笠智衆の好々爺ぶりが見事で。黒澤小津安二郎に無制限のリスペクトを捧げている気がしてならない。そして、何たる、川のせせらぎの心地良さ、美しさ。

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各エピソードが始まる時のテロップ、「こんな、夢を見た」

確かに、「日照り雨」、「桃畑」は、黒澤が夢の中で見た風景に近いかもしれない。

しかし、「トンネル」は、同世代の戦争で亡くなった者たちへの慙愧の念の表出。

「鴉」は黒澤個人として、芸術家としての、ありたい理想像(=夢)

そして、「赤富士」「鬼哭」は、現実として、現在、人類に覆い被さっている、悪夢。

「水車のある村」は、黒澤の思い描く、人類に対する究極の理想(=夢)、提案。

日本語には、いろんな含みがある。「こんな、夢を見た」に騙されてはいけない。

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原発への異議申し立て。あたり前のことだけど、黒澤が遺書として、もう一度『生きものの記録』として、したためた、もの。

もう十分、世界的巨匠として成功しているのに、あらためて、火中の栗をひらった 黒澤のスケールの大きさに、敬服しきり。

「こんな、夢を見た」、とひとくくりにして、「ゴメン。」と照れ笑いしている黒澤明が目に浮かぶ。

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以下は余談です。

______「機械あれば必ず機事有り。機事あれば必ず機心有り。機心、胸中に存すれば即ち純白備わらず。吾、知らざるに非ず。恥じて為さざるなり。」

以上は、2000年以上前!の、中国の思想家、荘子の言葉です。

便利な機械が出来れば、機事、即ち、技術的考え方みたいなものが働く。技術的考え方が働けば、機心、即ち、たくらみ心みたいなものが出てくる。そういう、機心 が心の中にあると、もとの純粋素朴な気持ちから離れてしまう。それは、まずかろう。だから、自分は、機械のことは知らないわけでもないが、そういうこともあるので、機械は使わない。 と、いった意味です。

何か、宇宙人並みに、鋭い事をおっしゃる。

荘子のこの言葉を、黒澤は「水車のある村」で映像化したのではないだろうか。

悠久なる時の流れに身を任せて。

(評価:★4)

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