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[コメント] ナインスゲート(1999/米=仏=スペイン)

ポランスキーは“悪魔”的な才能なりや否や?
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







はっきりいって失敗作だと思う。2.5だけど、個人的に好きなポランスキーということで温情票で0.5の加点で計3点ということで……

ロマン・ポランスキーという作家の特徴が表れていた冒頭部。この作家は密室などの圧迫感すら感じさせる閉ざされた空間で遺憾なく持ち味を発揮する。リアリズムを損なうほど安っぽいセットであることを恥じることなく、平然とクリエイティビティを練り上げる。『水の中のナイフ』の船内、『袋小路』の城内、『反撥』の室内、『吸血鬼』や『マクベス』にしてもどんよりとした外気の屋外よりも作り物じみた城のセットの安っぽさが印象的、『ローズマリーの赤ちゃん』の古いアパートは『テナント 恐怖を借りた男』にも通じるし、『フランティック』にしても空港や屋根裏の隠れ家といった閉所が記憶に残るし、『赤い航路』は船内と室内、ブロードウェイのヒット劇である『死と乙女』は当然室内。それに彼自身が恐らく抱きつづけているオカルトや異常心理への関心と『吸血鬼』と『ローズマリーの赤ちゃん』が決定づけた“オカルトを得意とする監督”というレッテル。

この映画は原作からアレクサンドル・デュマのミステリーに関係する部分をこそぎ落として、強引にオカルト物に仕立て上げられている。しかもそれがポランスキーお得意の安っぽいセットの中でこじんまりと展開される。ただし、その安っぽさがオカルトに必需なはずの捉え所のない雰囲気を軽薄にしている。典型的なのが2通りの悪魔召喚のシーンだ。デュマ倶楽部の会合を悪魔崇拝者たちの秘密結社にしているが、その強引な読み替えは“悪魔的な”安っぽさによって成功しているとは思えない。さらに最悪なのはラストの召喚シーン。監督の「資金切れ」や「想像力不足」とダメだしされても不思議ではないほど目も当てれないチープで軽薄な感性。しかしあの原作の悪魔召喚儀式の複雑さを全く無視して簡略化しきったシーンも意味がないとはいえないのだが。

つまり、3冊の本に分散された9枚の真作の版画が揃うことによって、悪魔召喚の条件が整い、複雑な儀式を経て悪魔を呼び起こせることになっているが、9枚目が3冊とも贋作であって真作は発見されないのが原作であり、映画では確か製本業者の兄弟の引越し跡から真作の版画が発見されることになっていたはずだ。ところで こうなると女学生の意義付けが違ってくる。原作ではあくまでコルソが「影の王国に通じる九つの扉」を収集して悪魔召喚をするために影からサポートをするナビゲーター役だったはずだ。もちろん普通の人間ではなく小悪魔っぽい魅力的な女学生であるとともに、多分に悪魔的存在、異界の生き物であることが匂わせれている。恐らく下級の悪魔か何かなのだろうが、はっきりとはわからない。彼女がコルトに恋をしてセックスに至る流れは自然であり、この映画のセックスシーンのように唐突で興醒めな感じはしない。この映画の女学生はポランスキーが奥さんに大役を与えたかったのかどうか知らないか、奥さんのエマニュエル・セイナーが演じていおり年齢的に無理がありすぎると思われる。女学生じゃないだろっ!!! との軽い突っ込みは必要不可欠とも思われる。ただ野性味溢れる彼女の容貌はある意味悪魔的なのでこの翻案された映画の筋立てとは合致しそうだが。さて、9枚目の版画が贋作であったことによってバルカン教授の召喚儀式は失敗する。彼が自分の体に火をつける必要性は全くないのだが、城が火事になることが事後的に必要であったのだと解釈すれば納得がいく。兄弟の引越し跡から発見された真作の版画に描かれていた絵図はまさに実写において女学生=悪魔とコルソが火が燃え盛る城を背景にセックスに興じていたシーンと酷似している。それが意味するのは恐らくあの実写シーンそのものが9枚目の版画の真作と同様の役割を担っていると考えることだ。とすると、9枚全ての真作版画がそろうことになり、教授の元には9枚目が欠けていたが、あの場面全体では9枚揃っていたことになるのだ。悪魔召喚の儀式の複雑さが排除されている理由もここにあると思われる。実写シーンが9枚目の答えになるという発想は非常に面白く、読み解く側にとってもスリリングだと思う。9枚の真作版画が揃うことによって実際に悪魔が召喚されたことになり、ここで観客は「ああ、あの女学生自身が悪魔だったのか……」と感心する……しかしそういうわけにもいくまい。女学生=悪魔が成り立つ展開であるし、そのように解釈するのが原作を翻案した監督らの意図に沿い最適だとは思うが、だとすると悪魔が召喚以前から登場していたことになって、「九つの扉」を集めて謎解きをして、その成果として悪魔を召喚するという映画の展開そのものが全くの茶番だったことになってしまう。それだとあまりにも原作を台無しにしすぎるのではないだろうか? ただし、何もかも承知の上で今までの展開を打っちゃってしまうためだけにラストのどんでん返しをポランスキーが意図的に配置していたのだとすると、それはそれでポランスキーの深慮遠謀は“悪魔”的な才能だとも思えてしまうのだが。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ロープブレーク[*] 死ぬまでシネマ[*] グラント・リー・バッファロー[*]

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