[コメント] ワイルド・アニマル(1997/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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フランスはパリを舞台にして、南北の統一、というともすれば安直過ぎる箇所には、若干の疑問を覚えつつも、しかし、あの水中での麻袋からの、手錠を繋がれたままの脱出。血を、ヨーロッパの海に飲み込まれながらの脱出、というシーンは、恐らく監督の意図を超えて遥かに壮大な世界に辿り着いたシーンではなかろうか。だからこそ、ギドクは天才なのかもしれないが。
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彼の作品を何作品か見てきてつくづく思うのは、彼は本当にロマンティストだなぁ、という点。その原点がどこにあるかは知らないが、しかし、恐らく彼にとって最も重要な場所(の一つ)であるフランスはパリを舞台にした作品を「個人的には一番好きな作品」とあげる辺り、何となくそれが伺える気がする。
ギドクはこそ泥を単なる「こそ泥」として扱わずに、一人の人間味豊かな「ダメ男」として描く。そしてそれと対比するように、マジメで勤勉な「優しい力持ち」も、同じように「人間」として描く。そんな男でも覗き部屋でオナニーをするのだ、と。(余談だが、あの覗き部屋のシーンは、『悪い男』に繋がるシーンだろう)
彼らは裏社会の「仕事」を通じて一攫千金を当てようと奮闘するわけだが、結果的にゴタゴタに巻き込まれ、挙句海に突き落とされ、命からがら生き延び、そして「大道芸人から出直そう」と、一つの結論(そしてそれは出発点でもあった)=「幸せ」に回帰する。勿論、それは儚く――しかも運命の悲しい偶然の結果として買った怨恨によって――砕かれる。その幸せは、あらゆる意味で「脆さ」を内包していて、それでいて強い。
ギドクは、前作『ワニ』でも「愛すべきダメ人間」を描いているが、彼がそういった人間を好んで(?)描く背景には、やはり彼の出自が何らかの関係を持っているものと思われるが(その意味で、近年のギドク作品はやや異色の作品が多いのかもしれないが)、しかし、そういった理由である以上に、恐らくギドク彼自身がロマンティストであるからではないか。ダメ男の儚い、淡い「幸せ」だなんて、ロマンティストじゃなければ、誰が描くのか。
劇中のBGMの派手さもそうだが、ストーリーも割りとストレートで、ギドクの一連の作品群を前にして考えると若干の異色性を感じてならないこの作品だが、それだからこそ、ギドクが描こうとしたものがより鮮明に、具体的に見えてくる気がしてくる。ギドクが「個人的に一番好き」な理由は、やはりそういう所にある気がしてならない。
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上述したことだが、『ワニ』に引き続き、ラスト付近の海からの脱出のシーンが、何か美しさを感じさせる。手錠で手を繋いで、というのも『ワニ』を思い出させる。違う点は、その結末だが、痛々しさは『ワニ』のそれと比肩している凄まじさ。その痛ましさは、我々の生へのエネルギーを最も露骨に、そして丁寧に描いている。
そしてラストシーンでも、彼らが射殺されて倒れる石畳にも水が流れていた。水によって薄まり、そして流れてゆく血液。
儚く散る淡い「夢」「幸せ」を、水が静かに流してゆく。ギドクの「水」は、どこまでも優しく、そして残酷だ。まるで巨大な社会システムの中に放り出された時に感じる、ある種の孤独感のようだ。
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