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[コメント] アレックス(2002/仏)

モザイクの意味ないやんけ! 2003年2月8日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







先日見て、あまりの凄さに衝撃を覚えた『カルネ』。続編の『カノン』は観たことがないが、シネスケでも評価が高い。この映画の予告編を始めて劇場で観たとき、何かしら異様なオーラを感じた。「お前は見る運命だ」とでも、言うような雰囲気。実際、ギャスパー・ノエ監督作品というわけで、いくらR−18映画でも、見逃す訳には行かなかった。何しろ前作の『カノン』も見逃してしまったのだから。

自分は時々思う。「あの映画に出会って無かった今、この映画を見ていない」んだろうな、と。自分の映画を好きになるキッカケとなった『ランボー/怒りの脱出』と『グレムリン2 新種誕生』。さらに、初めてのミニシアター『シュリ』・・・。例を挙げればキリがない。

しかし、これは偶然ではなく、「観る運命」だったのかもしれない。この先、どんな映画が自分の前に現れて、そしてどんな映画を俺が見るのかはすでに決まっているのかもしれない。いや、そこでどういう反応を示すか、上映中何時間眠るか、まで決まっているのかも知れない。

逆走ムービーと言えば、世界に衝撃を与えた『メメント』、そして切ない余韻の残る韓国映画の『ペパーミント・キャンディー』と名作が揃っている。しかも『メメント』など、まだ記憶に新しい作品。この映画も同じように逆向きに進むわけだが、今までの逆走映画とは一味違う。なんと言ってもオープニングのエンドロールに、テロップの連続。めくるめくるカメラワークに、初っ端からデブはげ(『カルネ』の親父?台詞から察して『カノン』の続編の気も漂わせているのか?『カノン』見てないからよくわからないが)の裸で始まる。

今にも酔ってゲロを吐きそうな程にグルグル回るカメラ。ゲイバーの中の異様な空気と定まらない長回しのカメラ。消火器で顔を殴り潰すショッキングな始まりに、この映画の異常な雰囲気に巻き込まれていく。

時間は逆行して、崩壊しきった「幸せ」と「愛」、何よりもこの時間の逆行が、失われたたった一つの「偶然」から生まれた「時間の破壊と崩壊」を修復する。皮肉なことに、この映画の中で全てを壊した時間が、二人の時間を元に戻していくのだ。逆走という形で。それは、現実では決して修復することのできない傷口を簡単に修復してしまう。映画という、作られた現実の中で時間を逆行させることができても、現実では決して時間は戻らない。時間によって壊された時間は戻らない。

ラストシーンの美しい緑色の芝生に寝そべって読書をするモニカ・ベルッチ、楽しそうに走り回る子供達。その後に目が痛くなるほどの鮮烈な光の連続(いやぁ、一昔前にあった「ピカチュウ事件(強い光を見て子供が痙攣起こした奴)」になるかと思いましたよ)と「時は全てを破壊する」ラスト(オープニング)。

そんな彼女は、レイプ事件の数時間前には恋人と愛しあい、ビニール越しにキスをし、地下鉄で馬鹿話に興じて、パーティーでダンスして魅力を振り撒いていた。噂の衝撃の9分間レイプシーン以上に、結末(オープニング)を知っている観客からしてみれば、レイプ後、地下道から運び出される変わり果てた彼女の姿の方が随分衝撃的だ。そしてその数分後には彼女が受けた暴行が、スクリーンに映し出される。

確かにこれは愛の物語だ。偶然か?それとも運命か?「あの時俺が一緒に居れば」。きっとバンサン・カッセルは思っただろう。しかし、時間の流れに飲み込まれて、全てを破壊されたアレックスを救う事はできない。そして、復讐のためにゲイバーへ行く。その後自分がどんな目に合うとも知らずに・・・。

カンヌで退場者が出た理由も充分わかる。しかし、この映画は途中で退場してはいけない映画だ。確か『カルネ』の記者会見か何かのときに監督はこう言ってた。「途中で退場者が出てくれたら嬉しいね。だって最後まで見た人は勝者なんだから」(自身ないけど^^;)と。勝ち負けの問題ではないかもしれないが、この映画は純粋に、途中退場してはいけない映画なのだ。途中退場をするということは、現実から眼を背け、自分の見たい現実としか向き合うとしない弱者と、自分は思う。

あのパーティーに行く前にベッドの上で無邪気に愛しあう二人と妊娠の事実。自分は、ベッドの所に飾ってある『2001年宇宙の旅』のポスター以上に、ベッドの脇に飾ってあった『WHAT’S LOVE』(何の映画ですか?)と書いてあるポスターの方が気になった。

その後あの二人はどうなったのだろう・・・。時間が全てを破壊した?運命が全てを破壊した?この映画に救いなど無い。そんなもの必要ない。それが愛であり、現実であり、過ぎ去った時間に救いの手が差し伸べられることは有り得ない。人間は愚かだ。愛は愚かだ。しかし美しい。アメリカ映画にお決まりの「おぉ、神よ」等と言う、頭の悪い台詞も登場しない。必要ないのだから。もし、宗教的な言葉が出るとすれば「クソ喰らえ、神よ!」であろう。それが現実であり、それが愛であり、何よりも時間に破壊された時間なのだから。

神と言う陳腐な存在にも、ましてや友人も自分自身すらも、壊れた時間を修復する事は出来ない。形あるものは皆壊れる。運命は惨酷だ。しかし、美しい。光は鮮烈。太陽は眩しい。前半部分(後半部分)、バンサンが怒りに身を任せて行動をするところはひたすら暗く、そしてレイプ事件の前の映像は明るい。

思い出せば思い出すほど「やられた!」の言葉しか出ない傑作。

時が全てを破壊する。あまりにも残酷すぎる愛と現実を目の当たりにして、自分は劇場で呆然と、この映画の凄さに驚き、そして震えるだけだった。

最後まで劇場の椅子に座り、スクリーンを直視し続けた人だけが見ることのできる、鮮烈な光。しかし、それは皮肉なことに過去であり、取り返しのつかない現実の兆しの昔話なのだ。

所でモザイクだけど、レイプシーンはあのホモ野郎の息子も丸見えだったり、バンサンの息子も丸見えだったりだし、モザイクあっても、「いや、別のところの方が必要だろ!」と突っ込みが入りそうなシーンばかり。映論ってアホですか・・・?

――――追記2月9日

ラストシーン。芝生に寝て、読書をするアレックス。今日人から聞いたのだが、あのシーンアレックスの腹が大きかったそうだ。つまり、妊娠数ヶ月だ。考えてみれば、レイプされていたとき、ほとんど顔を蹴られ、顔以外は、一度背中を蹴られたのみ。つまり、胎児の居る方は蹴られていないし、挿入されたのは、アナルの方(何しろ相手はホモですからね)なので、胎児には支障はなかった、という見方もある。

しかし、それではあまりに救いのありすぎる結末(始まり)になってしまう。確かに、そのような終わり方でも納得できるが、自分が思うに、あれは「時間がすべてを壊さなかった」場合のアレックスの姿だと思う。つまり、あのカップルが望んだ幸せな姿。

しかし、あのシーンにバンサン・カッセルの姿はなかった。と、考えると彼は刑務所、という事になるのでしょうか。だったら、結局アレックスは幸せに暮らすことができました。という終わり方になる。

難しい・・・

(評価:★5)

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