コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ダーティハリー(1971/米)

さまざまな映画をリスペクトかつオリジナリティを出しながら進みながら、締めはマカロニウェスタン。名セリフが男の色気に画竜点睛。社会に向けたマグナム44の銃口はイーストウッドの鋭い眼差し。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







銀行強盗、身投げ現場の説得役。序盤で汚れ男の本領発揮の前のお膳立て。銀行強盗捕物帖で描いた【ハリー・キャラハン刑事の性格】と【ラストの伏線】は圧巻という言葉以外見あたらない。さらにこの映画、技術面から骨太ストーリの骨密度を増やしているのだが、何と言ってもその中でも随一で光ったのは、スタジアムでの空撮のカメラワーク。

カメラを空高く飛び立たせながら、スタジアムの電灯をゆっくりと消していく。空高く舞い上がったカメラと光が消えたスタジアム。そこに表現されている全てが、その後のシーン、合衆国憲法修正第4条5条6条を武器に検事が犯人釈放する展開を予見させている。「正論が煙に巻かれる」ここに映画的芸術的表現の深さを感じる。素晴らしいカメラワークの映像詩で織りなす伏線は美しかった。

さらにさらに、画面上で目立つ『黒』の役割や効果を理解した画(絵)作りに見えるプロ意識の輝き。『黒』にダーティーなイメージを感じさせつつ、昼夜の対比を表すと共に社会構造を成す人々の心内を映し出している。サンフランシスコの昼の青空、光を持ってきて闇を照らすその手法、対象物しか画面上に映らなく対象物以外は黒潰れ(全部の夜シーンではないが)の映像がなければ、この映画が成立しなかったと言ってもいいぐらいだ。

研ぎ澄まされた黒とクリントイーストウッドがよく似合うのも、数多くの名言それ以上に憎い演出の一つなのかもしれない。黒と寡黙な男。合わないはずがない。

[残念だった点]

キャラハンが20万ドルを持って行われた『公衆電話巡りマラソン』に異論はあるだろうが、私はそこに『天国と地獄』の姿を追った監督の姿を見た気がする。が、オマージュ仕切れなかった姿が見えてしまった。何故なら私は「一体、公衆電話巡りマラソンをさせて何をしたかったのだ?」と感じたからだ。

天国と地獄』をリスペクトしたいのなら、巧みにギミック組み入れるべきではなかったか。キャラハンにマラソンさせた犯人の意図としては「キャラハンに誰も付いてきていない事を確認する為」「捜査陣を混乱させたかった」などだと思うが、弱い。どう考えても警察を巧みに配置したら解決出来うる展開だったので、少しそこにガッカリした。

教会の牧師を狙撃する為に、同じビルを再び犯人「サソリ座の男」は訪れている事を描く事で伏線を張る事で、その甘さを打ち消そうとしていたのだけれども、甘い。犯人がアホだとしたかったのかもしれないが、黒人の殴り屋に200ドルを払って自分を殴るよう頼んで半殺しにしてもらい、それをキャラハンが殴ったように見せかけて、世論を自分の見方にしたではないか。

と、思ったら犯人はスクールバスをバスジャック!ありゃりゃ、結局[趣味:殺人]の典型的なアホ型犯人(戦争後遺症をひきずる男性であってアホは言い過ぎだが…)だったのね。トドメに成功確率果てしなく0%な、人質7人と引き替えに20万ドルを積んだジェット機を要求してしまっている。嗚呼サソリ座の男さん…

(ま、多分サソリ座の男の、異常なまでのお金に対する執着心というのは、守銭奴経済とそれに従う人々を極端に映し出していたのだろう。それが分かる点は、蠍座の特徴が「12星座の中でいちばん疑い深い、深層をさぐりすぎ」「見栄っ張りで劣等感が強い」という事だ。作者はこの事を踏まえ練ったと思われる。見栄っ張りと言う事は、お金が幾らあっても足りない。で、疑い深いから作中であったように、マラソンをさせたり、あのような部屋で孤独に過ごしていたのだろう。この点を知的に入れてくるとは、完璧だ。)

[ラスト]

サソリ座の男と、【法】を重んじて【正義】を重んじない傾向になっていた社会構造が産んだミランダルールから生まれた矛盾の産物との符合。そして【法】が弱者救済とならず、特権階級化した人種の道具として振る舞われていく流れに対して、キャラハンは「法律への苛立ち」が心に渦巻く市民達の世論を背負った代弁者であった。

キャラハンは優勝劣敗の歪んだ社会と、そこに存在する【法の矛盾】に犯人以上に憤りを感じていたのだと思う。そしてラストのバッヂ投げ捨てだ。その行為、社会矛盾に八方塞がりのまま生きた死体と化すことに対する拒絶反応だと思っている。そこに、キャラハンのキャラハンであるという叫びである、生命力の大きさを感じた。

そして、『考えているな 弾が残っているかどうか。実は俺にも分からないんだ。だがこれは特製の大型拳銃だ 脳ミソが吹っ飛ぶ。よく考えろ弾があるか どうだクズ野郎』というセリフが優しい気持ちの裏返し、素直になれないシャイな男といったところが表れていて、罪を憎んで人を憎まずの表情に真のカッコ良さが見いだせる。

助ける気持ちを裏切る犯人の行為が、さらにダーティーハリーの名を黒で照らしているかのようだった。

2002/10/16

[追記]

書き忘れたのだが、間違いなくベトナム戦争に対して異議を唱えている凄く分かり易い映画の一つだろう。本当の正義と、仮面のセイギ又は正偽との乖離が激しく描かれていて分かり易い。うーん、何故書き忘れたのだろう…。さらにアンディ・ロビンソンについて書くのを忘れてしまった。若いのにボケが激しくなってきたようだ。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)White Gallery[*] ギスジ tkcrows[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。