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[コメント] 私は「うつ依存症」の女(2001/米=独)

一つ一つ、毎日のように何かが鬱依存症の犠牲になっていく。それは形あるものであったり、そうでないものであったりする。しかし必ずしも絶望に繋がるわけではない。自分と向き合ったリジーから多くの事を学ぶことが出来たのだから。
ナッシュ13

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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エリザベス・ワーツェルはとても綺麗な人だ。原作『私は「うつ依存症」の女』の表紙を見れば一目瞭然。女優のような顔立ちをしている。しかし印象はというと、主演を務めたクリスティーナ・リッチとは何か違う。キリっとした印象で、ハッキリとした顔立ち。キュートなイメージの強いリッチよりも繊細なイメージを原作者本人から受ける。ポスター(おそらくアメリカ版)には一人の女性が両手を掲げながら後姿で映っているが、あの女性はリッチではなくエリザベス・ワーツェルだ。パンフレットにあったリッチのインタビューにもあったが、自伝の映画化ほど難しい題材は無いだろう。しかも当人は故人ではなく健在だし、原作はベストセラーを記録しているのだから。多くのハードルを目前としたリッチは、人物を演じるのではなくキャラクターを演じたという。微妙なニュアンスになってしまうようだが、これは決して「逃げ」の体勢ではなく「攻め」の体勢である。製作段階からこの作品に携わったリッチ(co-producerにクレジットされている)。お世辞にも軽いとは言えないような話に真っ向から向き合った23歳の女性に、ただただ感動するばかり。素晴らしい演技には涙してしまった。

PROZACとは、世界で最も知られる抗鬱剤の名前で、年間で何億ものPROZACが処方されているのだという。どん底のリジーもまた、アン・ヘッチ演じるスターリング医師の助言のもと、PROZACを服用する。やはり世界一と銘打つだけの薬である。徐々に依存症から解消されていくリジーがいた。彼女は内心で何を思っていたのだろう。ここで初めて自分と向き合ったのだろうか。いや、決してそうではないだろう。鬱状態の時、彼女は恋愛もすれば喧嘩もしていた。常に自身と向き合っていたはずだ。鬱病の専門的知識は持ち合わせていないが、リジーはPROZACを明日への架け橋(ベタだが…)にしたハズで、「絶望」という感情もまた、リジーにとって忘れてはならない思い出となることと思う。

友達を失い、恋人レーフ(ジェイソン・ビッグス)をも失ったリジー。それらを鬱病の犠牲にすることの意味は何か。本来の人格に覆いかぶさる、鬱病の全てと言っても過言ではないような目には見えない仮面(パンフのコラムを書いた医学博士の海原純子さんもこのような例えを使っていた)を獲りはぐ為の糧になったのだと自分は考える。テキサスの空港でリジーがレーフに別れを告げられる場面で、リジーは涙する。これまで自分が何をしてきたのか、レーフは自分にとってどのような存在だったのか…少なからずわかっただろうと思う。

クリスティーナ・リッチが真正面から「うつ依存症」に立ち向かい、それを感情が揺さぶられながらも見守る母親を演じたジェシカ・ラング。リジーに大きな影響を与えたレーフを演じ、珍しくドラマに出演したジェイソン・ビッグス。出演陣が好演していたこの作品。またしても、生きていく希望を与えてくれる最高の作品に出会えて、最高にハッピーだ。

余談のコーナー:クリスティーナ・リッチとジェイソン・ビッグス初共演作となるこの作品。この2人が2年ぶりの競演を果たした作品が2003年秋に公開されます。ウディ・アレン監督の『Anything Else(原題)』。ラブコメなんですけども、この2人に注目の方は要チェックですよ。(でもウディ作品が日本で公開されるのってかなり遅いようなイメージがあるんだよなぁ・・・)

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