[コメント] 汚れなき悪戯(1955/スペイン)
奇蹟のありがたさと
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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失う悲しみを天秤にかけることなんて可能だろうか。
奇蹟はキリスト像が動き話すことだけだと思ってた。マルセリーノを見下ろす角度からゆっくり彼の目線へと降りるカメラ。これはイコールキリストの視線なんだ! と震え、パンをちぎる手、ワインでマルセリーノを祝福する指のあたたかさにまた震える。
最後の奇蹟を見ていた“お粥さん”の表情が見ていてつらすぎる。2階へ上がると連れ去られてしまうんだよ、というセリフはあながち間違っていなかったことになるのか……。
わからない…と混乱しながら涙するしかなかった。キリスト教を信仰していない限り理解できないと思う。マルセリーノの願いをそのまま叶えることがイコール彼の死であったとしてもキリストが叶えてしまう、ということに愕然としてしまうのだ。
ただ、冒頭でこの物語が女の子に話されることを嫌がった両親を見て、誰だって自分の子供が神に召されるのは嫌に決まっていると思う。それでもそうした“理由”を見つけられることが(キリスト教的)救いなのかもしれない。そんな想像がせいいっぱい。
キリスト教を信仰している人はこの映画をどうみるのかとても興味があります。感想を聞いてみたい。
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