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[コメント] MEMORIA メモリア(2021/コロンビア=タイ=仏=メキシコ=カタール)

確か「妄想の攪乱」だったか。ジェシカ(ティルダ・スウィントン)の「頭内爆発音」を再現する録音技師が所属するパンクバンドはそんな名前だった。まさに本作の別名にふさわしい。この音と記憶の物語は解釈ではなく想像(妄想)を求めて混沌(攪乱)を促してくる。
ぽんしゅう

ジェシカと久々に会った友人夫婦との会話はかみ合わない。頭のなかの爆発音によって眠れない彼女の記憶は、徐々に正確さを欠いてきているようだ。アンテナ(入力装置)としてのジェシカの「頭」と、レコーダー(記録装置)としての眠る男エルナンの「頭」という話が出てくる。

入力と記録によって"記憶"は作られる。そして"記憶"は眠りによって「頭」に定着される、ということだろうか。横方向の"記憶"の連なりとは「社会」のことだ。縦方向の"記憶"の連なりは「歴史」だ。そんなイメージが私の混沌とした「あたま」にぼんやりと浮かんだ。

今まで観たウイラーセタクン作品のエンドロールは、私の"記憶”が正しければ(すべて)黒地に白文字が下から上へスクロールする画面にスタッフらしき人たちの会話が延々とかぶるというスタイルだった(と思う)。今回は背景の音は会話ではなく、遠雷の轟きに始まり降り始めた雨がパラパラと強弱を交え草木を打つ音だった。言葉が論理の「記録」だとしたら、音は言葉の素となる"記憶"の原点だ。

最後に。今回は南米のコロンビアが舞台だった。私はウイラーセタクンの大ファンなのだが、本作には何にか物足りなさを感じてしまった。振り返ってみれば、私を惹きつけてやまないウイラーセタクンの魅力のひとつが、インドシナの濃密な空気がはらむ湿気だったことに気づかされた。物足りなさは演出のせいではなくコロンビアが醸す風土の問題なのかもしれない。改めて湿気が描ける映像作家って凄いと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ[*]

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