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[コメント] 幕末太陽傳(1957/日)

「居残りの左平次」こそ、転換期を迎えた日本映画界に生まれた太陽である。
町田

出典は落語であるかも知れないが、フランキー堺が演じた「居残り左平次」は、あくまで映画のものである。

自ら”日本軽佻派”を名乗る川島雄三と、後に”重喜劇”を創世し独自のリアリティを追求する今村昌平の、双方のエッセンスがぶつかり合って生まれた真にオリジナルな個性だ。

幕末を描いたこの作品が作られた’57年は、奇しくも日本映画黄金時代の「幕末」、戦後日本映画の転換期であった。この二年乃至三年後、社会性・芸術性を強く志向し始めた日本映画は、広く大衆=町人のものであることを止め、急速に細分化していく。

はなしを映画に戻す。川島の演出は、「左平次」とその周辺の描写に於いて圧倒的な冴えを見せる。小沢昭一演ずるアバタの行商や、南田洋子左幸子の二大芸者、南田に騙される殿山泰司とその息子もいい。金子信雄演じる旅館主人はちょっとわざとらしくっていけないが、山岡久乃のカミさんと梅野泰靖なる俳優が演じた息子の存在に助けられている。菅井きんのいやらしさがいい。織田政雄の律儀さも、岡田真澄の気弱さもいい。芦川いづみは相変わらず不幸だが、そんな中でも凛々しさを失わない。井上昭文榎木兵衛が演じた小沢昭一のサギの片棒にさえ愛着が沸いた。

これらの魅力的な人物の動静が、類稀なテンポの良さで接がれていく。この部分だけを見れば「これが川島の最高傑作」と云うのもあながち、間違いでないのではないか。

しかし、石原裕次郎の高杉晋作周辺は如何ともしがたい。彼らが出てくる度にテンポが崩れる。裕次郎はともかく二谷英明と若い小林旭は殆どどうしようもない。男前以外に魅力のない平板キャラをあんなに長時間、映していてはいけない。「幕末太陽伝」という表題からして彼らの出演は予め決定されていたことなのだろう、それを端に追いやった川島のクソ度胸は評価すべきなのかも知れないが・・・演出というよりは「切り盛り」という感じで、正直、愉しめなかった。この映画を見るのは二度目だが、二度とも同じ場所で睡魔に襲われた。爆弾がウンタラ云う例のシーン。

「転換期」に「転換期」を描き、「転換期」故の奇跡と、「転換期」故の息苦しさを持ち合わせた、そんな作品。これが川島の最高傑作であるかどうかはともかく、絶対に見るべき川島映画、日本映画であることには変わりない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ぽんしゅう[*] shiono ペペロンチーノ[*] 水那岐[*]

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