[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画も芸術であり芸術とは真実を描くものだから、多くの人の心情に訴えたこの作品は芸術と言っていいだけでなく、真実性を獲得して今後とも語り継がれていくことになるかもしれない。真実とは人間が人間である限り、この世界がこの世界である限り、起こるかもしれない生じるかもしれない「可能性」のことだからである。すなわち真実は一つではないのだが、同時に一つでもある。ちょうど人間が掃いて捨てるほどいながら、あなたが一人しかいないのと同じように。
しかしこんなことは「ありえない」と思う。もし(日本の)爺ちゃんたちが観たら「こんなもん軍隊じゃねえ」と言って怒り出すのではないか。私自身、途中までは笑い転げながら観ていたので、注意深く観なかったせいかもしれないが、なぜ日本軍が無力な非戦闘員の集団を突然大量に殺戮し、戦略上のたいした目的もなく村を焼き払うのか、ちっとも分からなかった。日本人を「鬼」として描くなら分かる。いかにも鬼のやりそうなことだから。だがこの映画の前半では、旧日本軍人も普通の中国人と同じように、笑いもし泣きもし怒りもし、プライドもあればそれを捨てたりもする「人間」として描かれていたはずだ。軍隊としての行動様式や組織のあり方、服装や所持品等の細部についてまで真に受ける必要はないにしても、この監督の人間を見通す洞察力の確かさとその卓抜なユーモア感覚に、感服しながら観ていたのだが。
結局この映画は、「日本人ならこんなこともやりかねない」「日本人だからこういうことをやるのだ」という、日本に対する差別的な固定観念を利用した。だったら初めからこんなふうに撮らなきゃいいのに、という気もするが、その拠って立つ源泉の一つが明らかに、過去の歴史からくる日本への強烈な敵対意識であることを考えれば、日本人として厳粛に受け止めざるを得ないものがある。だが日本人でも中国人でもない外国人がこの映画を観て、無批判にこれを受け容れたのだとすれば、それは単に日本や日本人に対する無知や無関心の現れであるようにしか思えない。で、それって中国人に対しても同様だと思うのだが。
当の中国人からは、本来「鬼子」であるべき日本人を人間的に描いたのみならず、自分たち中国人を卑近で矮小な存在として、「日本人」に近づけて描いたこの作品は、受け容れられなかった。どうもこの監督は、表現者として自己への誠実さに欠けるように思う。虚構の構築という観点から見ても、”私”の正体が結局明かされずに終わる点や、主人公の情婦や子供の”その後”についての言及がない点にも、同様に不誠実を感じる。はらわた煮え繰り返ってまともに評価なんかしてられない、という感情もあるが、途中までは本当に面白かったので、その気持ちには忠実に。
80/100(03/01/26見、02/01記)
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