[コメント] 山の郵便配達(1999/中国)
淡々と歩む二人にゆったりとした時間が流れていく。まるで自分の父との関わりを思い起こさせるように。父を背負うなんて私には出来ない。
父と男の子との関係というものは「逆転」という必然の関係が待っている。父からすれば「男」としての「負け」を意味するものでありながら、いつまでも自分を追い越さない息子は情けなく、育て方を誤ったという点からは「親」としてはやはり「負け」なのだろう。
生きていれば必ず身体的には父を追い越す。だが心理的には父を追い越す事には抵抗を感じる。
足腰が弱くなった父が去年、私の新居にやってきた。車から降りる時に苦渋の表情を浮かべた父に私は手を差し出し父の身体を支えた。
何のことはない一瞬の事だった。周囲の家族もきっと何も感じなかっただろう。しかし、私と父の二人は違う。私は父の目を見ることは出来なかった。私は少なくとも身体的には父を越えた事を実感したし、父もそれを認めた瞬間だったろう。
それでは心理的・精神的にはどうか?父は一小市民だ、歴史に名を残した訳でも莫大な財産を残した訳でもない。それでも私は父を尊敬する。若い頃には思いも付かなかった事だが、そんな「たいしたことない」男を今では尊敬している。
PS.私にも息子が出来た。今は幼児なので私の圧倒的な力と知識が勝っている。しかし、いつかは彼に殴り返される日が来ることだろう。
作中で息子が寝ている時に無意識に父に身を寄せ、脚を絡ませてくるシーンがある。父は至福の表情を浮かべる。
一人前の男として自立した息子だが、無意識の中ではやはり彼の子供なのだ。父親としての至福の瞬間だろう。
私もそんな父親であり、そんな息子でありたい。
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