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[コメント] シックス・デイ(2000/米)

みんなあまりこの疑問を感じてなさそうな事をみて、「私の価値観がおかしいのか?」と思ってコメントの書き換え・・・
ぼり

この映画で、ず〜と、引っかかっていたのは、「人間=記憶情報」という方程式の上の価値観で物語が進んでいるので、私の中では疑問ばかり。もしかしたら「そんな事を考えるだけで、野暮、野暮」って言われたら、それまでだけどさ・・・

はっきり言えば、「クローンに記憶を差し替えて「生き返った」という事で納得して死ねるか?」と言う私の漠然とした疑問です。彼らはそれを平然として受け入れているのですが、現実社会では不可能だと私は思っています。その時点で我々は「記憶」が「我々が我々である印」となってしまいます。これは、はっきり言えば、機能面においての発想です。「なるほど今までの記憶があれば、私が生きていたと仮定した行動をしてくれる」という事です。

しかし、そもそもその存在は「仮定」に過ぎない。我々は「始まり」があり「終わり」がある。「終わり」の後の「仮定」はそもそも"リアル"に存在しない。「〜たら」「〜れば」調の論議に等しいのである。

この映画はその価値観の上で成り立っているのである。「仮定」が「終わり」を永久に引き伸ばしてるのである。私はそんな価値観で生きる事なんて不可能だ。しかも私は、「完全無神論者」(『十戒』のコメントで書いてる)。死後の世界なんてあれば、宝くじを当てたようなモノだと感じているから、死んだ後の恐怖心が人一倍ある。言ってしまえば、「死」を理解する自分さえ消滅してしまう恐怖。

そんなことを考える内容をこんなエンターテイメント映画でやられると。心の中で「“無知”(深く考えない事)であることが幸せかな・・・」と遠い目をしてる、私であった。(哲学者っぽい発言になってんなぁ・・・実際の私は、ヤバイ位、チャランポランです)

(以上、友人と不意に“クローン”の話になった時に思った事でした)

(評価:★3)

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