[コメント] 化石の森(1973/日)
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な〜んて、気取ったタイトルだけど、でも、これがこの映画を見終わって最初にでた言葉だったんですよ。共依存のオソロしさがよくわかる映画ですね。篠田監督の映画ってはじめて観ましたが、ちょっとビックリしました。私には、監督のクセや好み、演出やカメラ回しの独特さ、みたいなものはよくわからないのですけど、タイトルまでの何分かの間にすでに引き込まれてしまいました。
この映画の主役は、杉村春子だと思います。杉村春子の演技なくして、この映画は成り立ちません。タイトルまでの数分間に、彼女の温和な笑顔のウラに隠された強かさを観ることができます。この冒頭の数分間がこの映画のカギともいえるかもしれません。彼女は、このときをずーーーーーっと、それこそ、家を出た(追い出されたのか?)ときからずーーーーーっと楽しみにしていた(というか、悪くいえば計画していた)んだろうなあ。このタイミングをずっとはかっていたんだろうなあ。と思うのは私だけで、彼女にしたら、「子供が老いた親の面倒をみるのは当然」って感じだったのかなあ。この母と主人公との間に、ホントのところ、何があったのかは映画の中では明らかにされていないのですが、杉村春子のにっこり笑顔のウラに、なんだかとっても淫靡なものを感じずにはいられませんでした。母親の姦通(っていうか浮気現場)を見てしまった、などという間接的な事件ではなく、たとえば、近親相姦のような、もっと直接的で強烈で、しかもふたりだけの絶対の秘密、みたいな感じ。この母の「だって、おまえとわたしは・・・・」というセリフの「・・・・」のところで、杉村春子のみせる目の演技!!母親というより、オンナを感じさせるものがあり、たぶん、言われた子供のほうは、蛇ににらまれたカエルみたいになっちゃうんだろうな。ところが、この主人公は、勇敢だったワケだ。あるとき、この母との関係を見事に断ち切り、親不孝とののしられても、この母を切り捨てた!!!
はずだった・・・。そこが共依存のコワいところ。彼の断ち切り方は、たぶん、「おれも誰にもいわないから、もう金輪際、関係を絶つ!」というものだったと思うんです。しかし、これが大きなワナなんだなー。というのも、「おれも誰にもいわない」ということは、今もこれからもずっと秘密を共有することになるからです。この母にしてみれば、人質(あるいは証拠)をにぎっているようなもの。この切り札を握っている以上は、子供など、自分の言うとおりになる!という確信をもっているんです。満を持して、息子の人生に再登場した母親は、温和な笑顔でどんどん土足で踏み込んでくる。息子は、泥をはらおうと必死だが、ぬれた地面に泥がつくようなもんだから、どんどん浸透していく・・・!!ひえ〜〜〜!この母にとって、息子の彼女の存在は、渡りに船のようなもの。この女が不幸になろうがなんだろうが、この母にはどうでもいいことなんですね。もっと言えば、息子のしあわせも、どうでもいいのです。この母は自分の今後(老後)にこの息子がほしかっただけ。どこまでも、自分のことしか考えていないのです。彼女は、それまでもっていた切り札に加えて、新しくて、さらに強力な切り札を手に入れてしまった。何事もなかったように、吸入している母の横で、頭をかかえるしかない息子。ものすごい悲劇。
この息子がここまでくるのには、相当の覚悟と努力と苦労があったと思います。お金のかかる学校にいるから、とかいう物質的なものではなく、もっと精神的に。だから、どうしても他人と接触をもちたがらない。孤独になりたがる。優秀ではあるが、融通がきかない。接触するのは、断ち切ったはずの母親のように、切り札をふりかざす女ばかり。共依存の本当の怖さは、こういうところにもあるんですね。自分ではもう大丈夫と思っていても、関係する人間は、断ち切ったはずの人間にそっくりな人間ばかり。あるいは、無意識に自分でそういう立場に立ってしまうのか?(私は、後者の人がだんぜん多いと思っています。)つまり、共依存のコワさとは、親子関係だけでなく、その親が死んだあとでも、あるいは決別してしまったあとでも、その人のその後の人間関係のすべてに影響をあたえ、ずっとずっと連鎖していくというところにあるのだと思います。一見、関係なさそうに見える、医療ミス親子にしても同じことで、この息子はこの親子を助けたつもりになっているんでしょうが、はたしてそうでしょうか?この母親は、障害者になってしまった子供が、親が死んでしまった後でも自立して生きていけるように育てなければならないのに、おがんでばかりいます。不幸をなげき、誰かにすがろうとして、一番の被害者である子供のことなど、おかまいなしです。自立しなくちゃいけない人を、どんどん依存させてどうする。あげく、母親とやっちゃおうとして子供にみられちゃってさ・・・。それって、母親の浮気現場を目撃した、昔の自分そのものじゃない。あ〜、この子供は障害者になってしまっただけでなく、地獄の連鎖にまでまきこまれてしまった。助けるどころか、泥沼にひきずりこんじゃって・・・。ヒドい話です。そうなんですね。ヒドい話が、どんどん、もっともっとヒドい話になっちゃう。この映画は、そんな地獄のような連鎖を、まざまざと見せてくれました。
人が自立するって、どういうことなんだろ。おばあちゃんになってからでも自立をめざしてもいいと思う。子供だけが自立しなくちゃいけないんじゃなく、気づいたときが適齢期。自分のおしりは自分でちゃあんとふける人間でありたいな。でも、ホントにふけなくなったときに、助けてちょうだいって素直に頼れる人間関係でありたいな。この映画を観終わった直後は、暗澹たる思いがしたものですが、コドモの寝顔をみているうちに、そんなことも思ったのです。
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