[コメント] 男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984/日)
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この作品で一番の違和感は寅の「おれはきったねえ男です」という告白である。寅の性格設定は世間の外を生きる渡世人、素人衆とは恋愛が成立しないことと寅自身のこれはいまだに謎だが愛されてはいけないという設定で、同じ渡世人に好かれてもいけねえいけねえ、と自分から身を引くところにある。今回の相手はエリート会社員の妻。これでは二重に寅の恋は成就しない。そのことが前提としてあるので、失踪した夫がいなくなることを考えただけで、あれほど悩むのが不可解。
喜劇としての手法はデフォルメでこの寅の矛盾した性格を誇張して描くところにおかしみが生じるわけだが、今回は少しもおかしくない。落語の妄想が走るキャラ設定も渥美清の名演でかならず笑いが取れるシーンのはずだ。
前回の大原麗子の登場が渡瀬との離婚の後で今回は森進一との離婚の後。これは山田洋次の大原麗子に対するプレゼントではないだろうか。ロケ名目で旅行して気持ちを取り直してほしい。今回のようにロードムービー調で鹿児島県のあちこちを紹介するのも珍しい。真実一路の旅とはこの傷心の大原麗子を慰める心情のことだ。つまり山田洋次は大原麗子に惚れていた。 つまらない、寅さん。のセリフの破壊力は、大原麗子からも山田洋次に対する心情告白があったということではなないか。
ところで寅にとって揺るぎない現実としてさくらがいるわけで、山田洋次にも家庭はある。大原麗子の化身である怪獣ギララは寅のお守りによって、寅さーんといって消えなければならない。世間の目があるから、という寅のセリフも妙に切迫感がある。隠さなければならない何らかの心情が実際になければ、このセリフのリアリティは説明できない。
この作品は山田洋次の隠さなければならない大原麗子への恋心をもとに作られている。そう思うとこの作品の様々な不整合が腑に落ちるのだ。
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