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[コメント] ラルジャン(1983/スイス=仏)

厳格にして静謐な世界。欲望と運命のアイロニカルな19世紀的陰鬱さを、唯一無二の映画的反応で描き切る真の芸術としてのGOOD映画
junojuna

**ネタバレ注意**
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どうしてここまで表現について禁欲的になれるのか。巨匠の仕事であることに唸らざるを得ず、作品を感じ入るにつけ、映画作家の匠であることのみならず、表現者の極北であることに感嘆するその所業は実に神々しいまで。ブレッソンのシネマトグラフは長編デビュー作の『罪の天使たち』然り、『田舎司祭の日記』然り、そのどれもが人間と神との間にまたがる不条理を描いて息苦しく沈鬱である。主役にすえられるのは聖職者や受難者、そして犯罪者といった神との対峙者(自意識があるとないとに関わらず)であることが特徴的だ。このドラマの構図は19世紀の人々の生き方、またその時代のドラマツルギーの在り方と符合する。本作もトルストイが原作であり、ブレッソンの映画はドストエフスキーの原作世界がよく描かれ、そこには19世紀的なドラマ観が中心に置かれるのだが、ここで注目したいのは2人のロシアの文豪の小説世界が筆を尽くして饒舌なのに対して、ブレッソンの映画は極めて禁欲的にして寡黙、それでいて静かな迫力は真に迫る怖さと惹きつけて離さない強度を誇るという点だ。それはブレッソンの出自が画家であり写真家であるという視覚の人であることが大きいと思われるが、ここに前時代的な、と言っても人間に普遍的なアイロニカルな世界を問答的に取り組む姿勢、そしてそのテーマを現代的な意匠に置き換え、自己の芸術観から導き出されるシネマツルギーとして描くことにこそ、ブレッソンの映画作家としての類まれな表現力が生まれている。゛語らず伝える”ということの重さがヒシヒシと漂い、そこには表現の神秘が立ち込める。イヴォンが老婆を無残にも手斧で惨殺するという出来事に、冤罪で犯罪者となってしまい人生が破壊されたイヴォンの運命と、通りすがりのイヴォンによって殺されることとなる老婆の運命は、いずれも運命という裁きによって同等に描かれるていることに執拗な想像を抱かざるを得ない。このブレッソンの視点によって徹底的に出来事として描かれる世界は、あくまで説明や主人公に対する感情移入を排して冷酷なまでの状況を描き切るが、それでもドラマの中心にイヴォンの人生を置くことにこそ、観る者の心に訴えかける映画の意義を失わない。そして私たちはこの映画の中に19世紀の遺産であるトルストイの『にせ利札』、ドストエフスキーの『罪と罰』、そして20世紀のカミュ『異邦人』の不条理を見るが、こうした芸術的素材の断片があるからこそ、この映画を意義あるものとして見ることができ、またそこにブレッソンの手腕を称えることができるのである。ゆえにこの映画は映画的偏差値を超える芸術的偏差値の高さを感じる存在の重みを湛え、映画作家ブレッソンの世界観の深みに崇敬の念を抱かせる。まさに映画の極点である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)週一本[*] 3819695[*] ゑぎ[*]

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