[コメント] シンドラーのリスト(1993/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
”狂気”一言で言ってしまうと、この言葉が一番当てはまる映画である。ナチスの狂気は当然の 事ながら、”オスカー・シンドラー”この人物も狂気に満ちている。
オスカーの狂気についてだが、この男、ユダヤ人助けをするような素行の人間ではない。ナチ党員 の証であるハーケンクロイツ(鉤十字章)をこれ見よがしに胸に掲げ、妻をほっぽらかし、愛人を 何人も作って、悪びれる様子も無く生きている。ハッタリと賄賂によって一実業家になったに過ぎない。 その男がなぜ?あの時代にユダヤ人を救う気になったのか、シンドラーの生き残りのユダヤ人達にさえ 解からなかったであろう。
その男が、最後自分が破産するまでユダヤ人保護の為に奔走する。ユダヤ人迫害が当然の時代の流れの中 この行動は”狂気”に値する。
映画の中で、ユダヤ人が自分の住居から追い出され、ゲットー(ユダヤ人居住区)に入れられ、その 住居の抜け殻に、シンドラーが入居するシーンがある。原作によると、シンドラーは追い出された ユダヤ人を捜して補償金を払った。という下りがある。この時既にナチスの政策に逆らっていた事が伺え 、当時の情勢を考えればまさに”狂気”である。
ナチスの狂気についてだが、語る必要も無いほどこの映画の中で、忠実に再現されてる。意味も無く 行われる殺人、ユダヤ人の墓で作った道路、ユダヤ人の財産の没収、会話の前にユダヤ人であることを 相手に伝えなければならない条例、ユダヤ人であることを示す星のマーク。ナチスは何を考えていたの だろう。前線での戦況より、ユダヤ人撲滅が目的ではないかと思わせるような、力の入れ具合だ。 ユダヤ人の撲滅に注いだ力を、全て戦争に注いでいれば戦況も変わったのでは?と思わせるほどの物だ。
次にプワシュフ収容所の所長であるアーモン・ゲートについてだが、この男の登場によって労働収容所 が、絶滅収容所のようになっていくのだが、大げさでも何でもなく、映画の中のゲートの行動は全て事実 である。それはシンドラーの生き残りのユダヤ人たちの、数々の証言で疑い様の無い物である。 しかしながら、この男の出現によってオスカー・シンドラーのモチベーション(ユダヤ人保護)が 高まったのも事実であろう。人殺しを何とも思わないゲートによってシンドラーのユダヤ人が更に強く 守られる様になった事は皮肉である。
そしてオスカーの片腕であったイザック・シュターン(シュテルン)の事について触れてみたい。この シュターンというユダヤ人は、オスカーをうまく利用して何とかユダヤ人救出に繋げようと奔走する のだが、映画の中で労働証明書を家に忘れてきた為SSに捕まり、別の労働収容所へ送られそうになる 所を、シンドラーに救出されるシーンが有る。実は原作(事実)では別の男(DEF事務主任のアブラハム ・バンキール)であった。また、チェコのブリンリッツへ連れて行くユダヤ人のリストをシュターンと シンドラーで作っているシーンが有るが、これもまた別の男(プワシュフ収容所の軍服製造所のティッチ )である。では何故、原作(事実)と違う内容の脚本にしたのか・・・。私の解釈は、単純に解かり易く するため。だと思う。原作は多くの登場人物(証言者)がいて、一度読んだだけでは複雑すぎて理解でき ない。よってこのシュターンという男に物事を集約して、解かり易くしたのだろう。 脚本家のセンスか、スピルバーグのセンスかは解からないが、素晴らしい仕事だったと思う。
そして色々な解釈や議論を醸し出した、”赤い服の少女”の事も触れておきたい。スピルバーグは シンドラーの意思が強く固まった象徴的な出来事(ゲットー解体)として、あのシーンをパートカラー にしたのではないか?と感じた。またあの歳にして、危険を回避する術を習得している”異常”に強い インパクトを感じたスピルバーグが、あの技法を使用して視聴者の目を注目させる為にしたのでは ないか?とも感じた。
そしてこれも賛否両論のラストシーンについて私の見解を・・・。原作には、シンドラーが自分の 無力さに泣き崩れるシーンは”無い”では、何故あのシーンを入れたのか?私はスピルバーグが シンドラーに対しての感謝の意味で、挿入したのではないか?と思えた。 オスカーシンドラーならそう思っていたはずだ!そう心の中で叫んでいたに違いない!スピルバーグは シンドラーに対してリスペクトの念を込めて、彼の心を代弁したシーンである。私はその様に解釈した。
更に、オスカー・シンドラーだけがユダヤ人を助け、救ったのか?という疑問もあるが、実は他にも ナチスの迫害からユダヤ人を守ろうとしたドイツ人実業家もいた。しかしながら、私財を全てなげうって 、自らの身も危険にさらし、最後まで戦ったのはオスカー・シンドラーを除いては皆無だった事だろう。
私はこの映画に出会い、映画と監督についての関係や原作と映画の事、他の方のコメントと自分の思いの 違いなど色々疑問に思い、色々な方の意見や教えによってほんの少しだが、自分が成長できたと思う。 その意味ではこの映画にとても感謝している。
最後に我々日本人も昨今まで、オートフォーカスカメラの事を、ある民族に例え差別的な呼称をしていた事を 忘れずに生きていかなければならない。明日は我が身。
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