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[コメント] シビル・ウォー アメリカ最後の日(2024/米)

人を殺す人間と、人に殺される人間と
ロープブレーク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画では、なぜアメリカが内戦に至ったかの背景が描かれない。そのことによって、殺戮のシーンの背景に、社会や政治ではなく個人が浮かび上がる。

そして、殺戮するのは、軍人に限らない。民兵によるリンチのような殺戮も緊張感を持って描かれる。

人を殺す人間たちの、他人の死に対する不感症的な様が見えてくる。

他人の死に対する不感症で言えば、ジャーナリストも同じだ。

冒頭、不意の爆破現場のシーンがある。ここでは、突然の大量死に戸惑うジェシー(ケイリー・スピーニー)に対し、死体の散乱する現場を進み黙々とシャッターを切るリー(キルティン・ダンスト)の姿が対比的に描かれる。

ところが、その後、リーは変調する。サミー(スティーブン・ヘンダーソン)の言葉を借りれば、それは「報道の力への信頼を失ったから」「意味を見失ったから」だ。リーは、殺戮の愚かさを知らしめるために戦場カメラマンになったのに、母国アメリカの内戦の前に、その行為が(その目的に対しては)無駄だったと知ってしまったからだ。

変調したリーは、死に不感症なプロのジャーナリストの態度から、徐々に人間らしさを取り戻す。それと入れ替わるように、ジェシーは死に不感症になっていく。

そればかりか、写真撮影に回りが見えなくなり、危険を顧みず銃弾の中に身をさらそうとし、かばったリーが身代わりとなって撃たれ絶命する。ジェシーは倒れゆくリーをカメラに収める。

結果として、ジェシーはリーを殺害したのだが、その死にもジェシーは不感症だ。

結局、何かの信念を持った人間は、信念を同じくしない誰かを殺し、没入すべき信念を持たない、或いは失った人間は、盲目的に信念に生きる誰かに殺される存在となる。

そのことを描いた映画だったように思える。

信念を持った人間による、信念を同じくしない人間への殺戮が、シビル・ウォーの内実だった。人は、信念を持つことにより、信念を同じくしない存在を、生かすに値しない存在とみなすようになる、そんな存在なのだ。そんな監督の信念によって作られた映画を見せられた、という思いが湧いた。

現代においては、信念もまたリヴァイアサンとして機能するのか。その問いに対する答えを、私はまだ持っていない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH けにろん[*]

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