[コメント] だれかの木琴(2016/日)
ある事件が起きる。平凡で小さな事件でいい。まさか、あの人が・・・と、周りから声が上がる。ときには家族からも。あなたに関心がなかった分けではない。みんな、あなたを理解したいと思っていたはずだ。でも出来なかった。あなたにも自分が分からないように。
悪意も、狂気も感じさせない自然体の常盤貴子が不気味であり、愛おしくもある。それは、まさに「音楽」という完成形を求めて、さまよい続ける木琴の単発の「打撃音」が持つ純朴さと同じだ。
カタチを結ばない「音」の連打とは、永遠に結論にたどり着かない純粋な「行為」のことだ。小夜子(常盤貴子)が連打する単発の「愛」は成就することにではなく、発信され続けることに意味があり「行為」の実行そのものが安らぎなのだ。だがら彼女は、穏やかで美しいのだ。
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