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[コメント] 人生タクシー(2015/イラン)

映画は師匠の『そして人生はつづく』を踏襲した極上の撮影だが、キアロスタミが被災地への移動を描くのに対して、本作のタクシーは目的地などなくただテヘランの街に囚われている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主題は三重底で提示されている。第一には政治的な立場の明快な主張だ。冒頭のタイヤ泥棒への死刑宣告と相乗りした女教師の抗弁は、後者の「世間を知らない」議論に軍配を上げる。それは「最近あった死刑」への恐怖を語る中盤で明らかであり、同志と呼ばれる停職処分の女弁護士に女教師のキャラは引き継がれる。映画監督禁止令を言い渡されているパナヒが両論併記みたいな思考停止に興味がないのは当然(後で説明すると云いながら消えるネット右翼系の死刑論者は再登場しただろうか、最後の盗難者はどうだろう、という謎かけがある)。

ここから海賊版DVD業者への微笑みによる共感が生まれている。姪っ子が滔々と語る上映可能な映画の条件の件は傑作で、子供に語らせる「俗悪なリアリズム」の定義は為政者を小馬鹿にしてもいるし、「先生の説明が判らない」という純朴な意見への共感も引き出している。表現の自由を奪われる極端な具体例として震え上がって観るべきだ。報道の自由度が低いと指摘される日本だって他人事ではない。

しかし本作は単線的な正義の主張に留まらない。姪っ子はフェイク・フィルムを撮ろうとする。映画のために拾った小銭を返せと屑拾いの少年を煽る。少年は従わず、姪っ子は不満がる。ここで貧しさからタイヤを盗んだ他者という議論が反復・吟味され、善意だけでは立ち行かない社会が提示されている。DVD業者だってそうだろう。これは正に「俗悪なリアリズム」に属する。映画が撮るべきジレンマである。

そして、もっとも基底にあるのは金魚鉢を抱えた二人の老婆の件だ。正午までに金魚を取り替えないと死ぬとか云いながら、なんでタクシーなどこないような住宅地に佇んでいるのかさっぱり判らず、パナヒがいなければ二人もこの世に存在しないと云った風なのだ。この不思議なナンセンスには映画の滋味が溢れている。こんな切り口でイスラム教社会を世界に知らしめてくれたら、世界の壁はずっと低くなるだろうに。彼女らを再発見した泉を、しかし禁欲を強いられたキャメラは映すことができないのだ。この無念で映画は終わる。

http://eiga.com/movie/83248/special/

http://realsound.jp/movie/2017/10/post-114823_2.html

(評価:★5)

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