[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)
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2014年のレジェンダリー版『ゴジラ』は、コアなゴジラファンの評価を二分した。真っ二つだったと思う。互いに、裏切り者、原理主義者と罵り合った(大げさ)。誰もが納得する理想的なゴジラ映画がつくられていれば『シン・ゴジラ』の企画自体が成り立たなかったのだから、あの罵り合いにも意味があったものだと思いたい。
さて本作であるが、2016年現在に考えうる最良のゴジラを見せてもらったという印象だ。無機質な災害として描かれるゴジラは、3.11以降日本人が大自然に抱いている恐れを体現したものだ。はっきり言えば、現代日本にゴジラが蘇ることに意味を持たせるとすれば、理由付けはそこにしかない。1954年当初とは違い、現代日本人が肌で感じられる危機は自然災害のみなのだから。
本作においてゴジラは最後どうなるのか、公開前に友人と予想したことがある。溶かす、埋める、海に帰る、寝る、火山に落とす、歴史から消す、封印する、メルトダウン、街を焼き尽くしながら終わる、ブラックホールに吸い込ませる、心臓だけで復活…。シリーズ思い返せば、なんとまぁ様々な終わり方をしてきたものか。ところで本作のラストは全く予想できなかったのだが、もしもゴジラを自然災害の象徴として描くなら、確かにこれは納得のいくものである。即ち、存在を認め、被害は最小限で済むよう最善を尽くし、平時は拝む。起きないように拝むしかない。あの東京の住人は、いつ起きるともしれないゴジラを毎日拝みながら、ときに畏れ、ときに敬いながら生きてゆくのだろう。カミ、とも呼べる存在になるのかもしれない。
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