[コメント] ゼロの未来(2013/英=ルーマニア=仏=米)
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この映画には、主に3つの場面が登場します。 1つは、昔教会だったという主人公の自室。2つ目は、ギリアムが「秋葉原をイメージした」と言う外の世界。そして3つ目は、バーチャル世界の『渚にて』。 もしかすると、「ゼロの定理」を解明することは、全ての世界が融和して“無”に帰すことなのかもしれません。なにせ『渚にて』だからね。
そう考えるとレベルの高い話にも思えるのですが、ゼロの定理を解明することが何に繋がるのか、いろんなことが謎のまま話が進行してしまいます。なんだか置いてきぼりくった気分。 例えばヒロイン。主人公の命の恩人として登場しますが、結局主人公を救うには至りません。いやまあ、彼自身が救いの手を拒むのですが、監督はそういう描写に重きを置かない。だってテリー・ギリアムだもん。画面の情報量が多すぎて本筋を見失う。
そもそも、管理社会の概念がもはや古くなっている気がするのです。 ジョージ・オーウェル「1984」ビッグ・ブラザーの時代から、村上春樹「1Q84」リトル・ピープルの時代なんです。巨大組織による管理という恐怖ではなく、小さな悪意による恐怖。巨大怪獣が街を壊すことよりも、ラーメン屋で隣りに座ってた奴がいきなりナイフを振り回す恐怖。要するにこの映画の中に、今時のリアルがないのです。
ギリアム好きですよ。好きなんですけどね、未来を描いているのに、どこか古い感じがしちゃうんです。昔の人が思い描いた未来。そんな感じがしちゃうんです、この映画。そこがいいという人もいるかもしれませんけど、好きだからこそ耐えられないってのもあるんだよなあ。悪い映画じゃないんだけどなあ。
(15.05.31 新宿武蔵野館にて鑑賞)
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