[コメント] 私が、生きる肌(2011/スペイン)
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もちろん、このような物語が世間にごろごろ転がっているとは思わない。しかし事の顛末はザ!世界仰天ニュースや奇跡体験!アンビリバボーで取り上げられていたと訴えられれば納得しかねない程度に変態的な仰天ニュースというか奇跡体験というかではないか。さっそくここで結論めいたことを云ってしまえば、『私が、生きる肌』の変態は事件の重大性に見合った語り口が採用されていない点にある。また、それこそは話芸の作家ペドロ・アルモドバルの面目躍如たるところだろう。
たとえば、映画が中盤にも差し掛からぬあたりで、マリサ・パレデスがアントニオ・バンデラスの実母であると明かされる。したがってバンデラスと虎次郎は実の兄弟でもあると。これはじゅうぶんに一篇の創作物語の核心を担える事件のはずだ。島崎藤村ならこれだけで五〇〇枚の長篇を著せそうなものだが、この映画にとってそんな事柄はまるで重要ではないとばかりに、アルモドバルはそれをさらりと語り流してしまう。さらに続けて当たり前のようにバンデラスに虎次郎を殺害させ、これもやはり瑣事であるかのごとく簡単に処理される。
この映画においては一事が万事この調子である。どれほど仰天すべきアンビリバボーな事態が起きようとも「当然である」「特段驚くことはない」という語り口で押し切ってしまう。なんというかまあ実に変態映画である。しかし世界は広い。上には上がいるもので、私たちはすでにクリント・イーストウッド『J・エドガー』を目撃しているのだから、確かにこの程度では驚いてばかりもいられない。
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