[コメント] マザーウォーター(2010/日)
才能豊かな俳優たちを浪費する企画。どんな本を読み、どんな映画を見て育てばこんな台詞を赤面することなしに書けるのか、率直に興味がある。私には理解の及ばない文化だ。趣味の徹底による不気味さも否めない。「道端に椅子を置く」なんて黒沢清じゃないか。ただし、市川実日子は大好き! である。
私の記憶が確かならば、主要作中人物が全員集合したシーンはひとつもなかったのではないか。(最高峰にはエルンスト・ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』を頂く系列の)「人物の入退場の操作」そのものを主題とした、一種の数理的な面白さを狙った映画だったのかもしれない。終盤で赤ん坊がバトン扱いされるあたりからもそれは窺えそうだが、仮にそうであったとしても、「人物の入退場」が物語/人間関係のダイナミックな展開を引き起こすようには仕掛けられていないのだから、その面白さは机上のものに留まらざるをえない。
また「何も起こらない物語」を志向するのはよいにしても、だからと云ってそれは「アクションがない映画」を支持するものではない。両者はまったく別のものである。たとえば(畏れ多い例だけれども)小津安二郎の映画もしばしば「特筆すべき事柄は何も起こらない日常的な物語」などと云われるが、画面の水準においては全篇が刺激的なアクションに満ち満ちている。翻って『マザーウォーター』の演出家にはアクションに対する視線つまりは興味が欠けている。
しかしながら、マーケティング的な観点から見ればとても精密に作られた作品だと思う。ある特定の嗜好の観客の需要には的確に応えているのではないかと想像される。その「ある特定の嗜好」とは初めに述べた「私には理解の及ばない文化」と大きく重なるものだろうが、たとえそうであったとしても、そのような商品の存在を許容してしまう程度に私はいいかげんな観客であり、「映画」は大らかだ。
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