[コメント] ペルシャ猫を誰も知らない(2009/イラン)
挑発的な趣向や表現があるわけでなく、音楽だってペルシャ語のラップやヘビメタというめずらしさはあっても基本的には欧米の借り物だ。この手の込んだPVのような映画の価値は、その存在が「毒」とみなされる状況が解消されると同時に消失してしまうという矛盾にある。
身の危険を侵してでも、今、撮らなければならない映画があるという苦悩。それはまた表現者にとって、またとない幸運でもあるという矛盾。社会状況がハードであればあるほど、そこに生まれる自由への希求もまた強固で執拗なレジスタンスとして展開される。しかし、課せられた規制が理不尽であるほど、そこで繰り広げられる抵抗は、規制の外にいる者の目には実にささやかで平凡な望みに見えるものだ。この「ペルシャ猫を誰も知らない」も、そんな映画なのだ。
かつて偏見のなか、アメリカ大陸を大型バイクで疾走したキャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)、そして弁護士のジョージ(ジャック・ニコルソン)がいた。文字どうりテヘランの街のアンダーグランドをめぐるナデル、アシュカン、ネガルの3人乗りのスクーターが、40年の歳月を経てイスラム国家に再来した『イージー・ライダー』(69)に見えた。
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