[コメント] 息もできない(2008/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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教室での朗らかなヨニが映り、社長が新装開店した焼き肉屋に皆が集まり楽しそうに飲食をする、と云うシーンが繋がれて嫌な気持ちになっているところに、フラッシュバックで病院での号泣カットが挿入される。どうして時系列で繋がないのだろうと思う。
そして、エピローグ。ヨニが街中を歩いていると、屋台がチンピラに荒らされているのを見るのだが、チンピラの一人(リーダ格?)が弟だと分かる。まあ、こゝ迄はいい。サンフン殺害の犯人は未だ捜査中なのだということか、と思う。次に、ヨニの弟がサンフンと入れ替わるのだ。これは明らかにヨニのミタメだ。これって、この期に及んで、ようやく母親の殺害者はサンフンだったことを思い出した、という意味になるが、これが作劇臭いと思う。母親の死とサンフンとが結びつかなければ、ヨニにとって、サンフンはチンピラであることは分かっていたが、彼が他人に暴力をふるう場面を見たことがないし、自分の膝の上で泣き崩れた男という思い出の人となる。それでいいではないか。屋台を荒らす弟がサンフンにオーヴァーラップする、というのは観客にとっては、関連の分かる演出ではあるが、ヨニの心象として見せることはないではないか、と思ってしまうのだ。
実はこのような理に落ちた感想を持ってしまう(持たされる)こと自体がイヤだ。もっと早い時点で、母親の死の原因がサンフンだった、ということに気づき、それでも怨讐を打ち消すか、いっそ、ヨニの弟に金槌で殴られたサンフンが、血だらけになり、うわ言のように呟いてエンドで良かったのではないか。
手持ちのシェイキーな映像、小さなズーミングの多用。同時期の映画で『ハート・ロッカー』(2008)、『ランボー最後の戦場』(2008)、『アバター』(2009)なんかも同じようなカメラワークを見せる。もう何度も書いておりますが、このカメラワークも嫌い。
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