[コメント] NINE(2009/米)
ミュージカルシーンは好きなのだけど。特に"Be Italian"。だがこの曲の挿入される、少年時代に娼婦と遊んだ思い出というのはフェリーニからの借用。追想に伴う私的な哀愁などそこにある筈もなく。第一、「撮りたいものがない」監督を描いた映画(『8 1/2』)を、大雑把なイメージとしてそのまま借用した本作は、「撮りたいものがない」という空虚感さえ持ち得ないほど空疎な制作者のフェリーニごっこに過ぎない。オマージュに見えてその実、単なる冒涜。
ラストの台詞はクリント・イーストウッドの某作品を想起させるが、あちらが映画の撮影という行為への美的・倫理的な苦渋を滲ませて観客を撃ったのに対し、本作では、望むもの全てを包摂していく「フィクション」としての映画へのマザコン的な甘えが溢れている。なんという鬱陶しいシネ・フィル。
こういう映画が増殖するから、こちらは映画を観る気を喪失しそうになるんだよ。既存の映画への、無邪気と言うにはあまりに幼稚な憧れをそのまま器用に作品化してしまう秀才たち。連中は映画を愛しているかも知れないが、映画の方では彼ないし彼女らを愛しているとは思えない。まったく、よく出来たクソ映画だよ。
と、このように、個人的には色々と許し難い映画。完成度が低いとは言わないが、それとは別次元の問題だ。ただ、ソフィア・ローレン好きの自分としては、永遠に艶やかな彼女の姿が見られたのは嬉しいし、またその若い継承者のように妖艶さを発散しまくるペネロペ・クルスの頼もしさも歓迎。女性陣は概ね好感触だが、ニコール・キッドマンには、やはり華やかさや喜劇性を感じとることは難しい。
ダンスシーンでカットを割りすぎだという問題に関しては、僕としては、生身の身体と編集機械のコラボレーションということで、必ずしもマイナス点ではない。そもそも「映画」は自然と装置の結晶体、という観点で。
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